高齢登山者による遭難事例から、長く安全に登山を楽しむためのポイントを学ぶ ~長野県・山岳遭難の現場から
夏山期間中、長野県内の遭難者125人のうち、6割を占めているのが高齢登山者となっている。高齢登山者による転倒や疲労の遭難が多発傾向にあるなか、9月に北アルプスで発生した2件の高齢登山者による遭難事例を取り上げ、長く安全に登山を楽しむためのポイントについて考察する。
登山は「生涯スポーツ」と呼ばれるように、年齢や性別にかかわらず誰もが楽しめるスポーツです。また、旅行や観光的な要素もあるため、高齢者に人気の高いレジャーと言えます。
高齢化社会とともに健康寿命も長くなり、70代になっても元気に本格的な登山を続ける方も珍しくありませんが、一方で転倒や疲労など高齢登山者による遭難が多発傾向にあるのも事実です。今年の7、8月の夏山期間中の長野県内の遭難者125人のうち、70歳以上は34人、60歳以上は39人で、実に全体の6割を占めています。
本稿では9月に北アルプスで発生した2件の高齢登山者による遭難事例を取り上げ、長く、安全に登山を楽しむためのポイントについて考えたいと思います。
登山歴15年、最後の穂高へ
Aさんは福岡県在住の65歳の男性で、50歳になるころに初めて地元福岡の由布岳に登り、以来、登山を趣味として登り続け、登山歴は今年で15年になるそうです。
今回の計画は、まだ夏山の余韻が残る9月上旬に、2泊3日の行程で穂高連峰を縦走すること。初日は上高地から入山して涸沢で宿泊、2日目は北穂高岳へ登り、そこから縦走し穂高岳山荘で宿泊。3日目は奥穂高岳、前穂高岳を経て重太郎新道から上高地へ下山するというものでした。
Aさんは岩尾根が織りなす穂高連峰の荘厳な山容に惹かれ、毎年のように足を運んでいましたが、65歳という年齢もあり、穂高連峰のような本格的な高山の登山は、今回の山行を最後にしようと決めていたそうです。Aさんにしてみれば、これまで何度も歩いたことのあるルートで、危険箇所も把握しており、慣れたコースでした。
2日目、ほんのわずかな気の緩みが・・・
Aさんは、前日宿泊した涸沢ヒュッテを出発し、北穂高岳を経て、涸沢岳へと続く急峻な岩稜へと進みました。進行方向右手の滝谷は古くからアルパインクライミングの岩場として知られ、「鳥も通わぬ滝谷」と形容されるように登山道からも切りたった岩壁が見下ろせます。
Aさんは滝谷ドーム付近の緊張を強いられる狭い岩場の登山道を慎重に通過し、進行方向に比較的平坦な登山道が見えたところでバランスを崩し、滝谷側へ滑落してしまいます。
Aさんは「滑落した場所は、平らな道がきちんと見えるような何でもない場所で、思い返すと、そこで無意識に緊張が解けてしまい、気が緩んだのではないかと思う」、そう当時の状況を振り返っています。
Aさんは滑落後、一度体の一部が岩に引っかかり停止しましたが、ヘルメットのあごひもが首に食い込んでいたため、あごひもを外したところ、再び滑落してしまい、傾斜の緩くなったところで停止しました。数メートル横に移動し、そこから自力で登り返すことを試みましたが、左足に激痛が走り、体を起こすのがやっとの状態でした。幸い、ザックは体から離れていなかったので携帯電話を取り出し、救助要請を試みましたが、圏外のため通話できず、他の登山者が近くを通るのを待つしかありませんでした。
通りがかった登山者に救助要請を依頼
ガスで視界も効かない中、助けを呼び続けること約20分。人影が見えたのでAさんが「助けてください!救助要請をお願いします!」と大声で呼び掛けると「どうされましたか!」と返事があったとのことです。
いつも単独で登山をするAさんは、単独のリスク軽減として、「最後尾の登山者(最終登山者)にならないこと」を心掛けていたそうですが、今回の遭難ではその些細とも言える心掛けが窮地を救ったと言えるでしょう。現場でAさんから救助要請を依頼された男性登山者はその場で110番通報。現場に近い北穂高小屋から山小屋スタッフ2名が出動し、Aさんの救助活動に当たることになりました。
夏山最盛期などであれば、県警の救助隊員や長野県山岳遭難防止常駐隊の隊員が涸沢に常駐をしていますが、夏山と秋の連休の狭間のこの日は、付近で活動している救助隊員はいませんでした。そのため、警察の要請に基づいて北穂高小屋のスタッフ2人が遭対協救助隊員として出動をしたのです。
現場一帯は濃い雲に包まれ、ヘリによる救助はできないため、北穂高小屋の2人は、ケガの処置をした後、Aさんを背負って登山道まで登り返し、北穂高小屋まで搬送しました。Aさんは背負われながら、その時の心境を「登山道まで1人で登り返すのも大変な場所なのに、本当に心強い背中だなと感じた」と振り返っています。
Aさんの容態は比較的安定していたため、天候の安定を待ってヘリで収容をすることになりました。しかし、翌日は早朝からフライトするも気温の上昇と共に急激にガスが湧き上がり、救助を断念せざるを得ませんでした。結局、遭難から2日後の朝、2回目のフライトでAさんは県警ヘリに収容され松本市内の病院に搬送されました。
衰えを自覚していたものの・・・
Aさんは今回3日目に通過する予定だった重太郎新道を昨年も下山していますが、その際、樹林帯の登山道で木に足を引っかけて転んだことがあったそうです。Aさんにしてみれば「なんの危険もないような場所」での思いがけない転倒に、少なからずショックを受け、同時に自身の身体能力の衰えを痛感したそうです。Aさんの「本格的な登山は今回を最後に」という思いの背景にはこのような出来事があったのです。
Aさんに「1年前に体力の衰えを認識しながら、なぜ、今回同様の計画を試みたのか」とあえて厳しい質問をぶつけてみたところ「10年以上穂高に登っていたが、景色がよく、山荘も居心地の良い場所だったので最後に見納めにしたいという未練があった。重太郎新道の下りで衰えを自覚したが、今回登山をしてしまったのは私の考えが甘かったのだと思う」と苦しい胸の内を明かしてくれました。
Aさんは診断の結果、左足首の骨折、肋骨多発骨折、肺挫傷、肺気胸など、全身に重傷を負いました。病室で家族と対面したときの心境を「本当に生きていてよかったと命のありがたさを実感した」と振り返っています。Aさんの治療とリハビリは現在も続いています。
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