2度登った守門岳、初めての浅草岳など、計画変更で苦労しながら、厳冬の山々を進む!

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2018年1月から始まった田中陽希さんの「日本3百名山ひと筆書き」。2年目の12月になり、新潟、福島の山々を登っていた。暖冬の中で、天気が読めず、計画を何度も変更しながら、ひとつひとつの山と向き合い、ていねいに登っていった。

POINT
  • もう一度登ったからこそ堪能できた、快晴の守門岳からの展望
  • ハードルの高い冬の飯豊山に登るか否か。下した決断とは
  • 2020年の「初登山」は、1225段の石段を5往復

 

登れたけど登りなおす! 冬の守門岳へは2日連続登頂

12月13日、242座目となる新潟県の守門岳へは、午後からの天候回復を信じて、「登頂6割、途中下山4割」の見込みで入山しました。予想に反して、ラッセルはなく、スノーシュー向きの雪でした。雪でルートを外すこともなく、宿から4時間で242座目の守門岳に登頂しました。

予想通りの曇天。午後からの天候回復を信じて登るが・・・


展望はなかったので、風をしのいで1時間半、天候回復を待ったのですが晴れませんでした。雪山シーズンだし、と納得して下山しました。

しかし、夜、天気予報を見て、翌日午前は快晴になるとわかりました。そこで、自分が明日の朝、どういう気持ちになっているか、と考えたら、「もう一度登る。登らなかったら後悔する」と感じたので、もう一度登ることにしました。そう判断するまで、早かったと思います。

登れたのに、もう一度、かつ2日連続は初めてです。

14日は、前日と同じ時刻に出発しました。朝からすごい快晴でした。前日登ったので、道の状況はよく判っています。また、この日は半日しか晴れないこともわかっていました。

前日と同時刻にスタート。登れた山に翌日再び登り直したのは初めてだ


今度は3時間で、10時に登頂。風もなく快晴。360度の展望を1時間堪能して下山しました。昨日登った経験があったからこそ、今日の登山がある、と感じましたし、下山後、宿について30分後には土砂降りになりましたので、もう一度、登ることにして本当に良かったです。

快晴の守門岳を味わう。昨日の経験があるからこその今日


ある休養日に、ネット配信で山岳映画『MERU』を見たんです。解説のジョン・クラカワー氏の「登山は素晴らしいものだ。しかし無事が保証できない以上、登山は正当化できない。だから葛藤する。登山とはそういうものだ」という言葉に、共感するものがありました。

自分で常々感じているのは、冬に限らず「登りたいのと、登れるは別もの」ということです。

豪雪地帯の山で、雪のシーズンに入って、思うように進まない中で、雪山のスキルが求められ、毎日が新しい経験という日々が続いていました。無事が保証されているわけじゃない。ケガや遭難のリスクを背負ってまでやることではない。そこらへんの線引きが難しいし、見誤ってしまうと大きな事故になってしまう。そう感じながら登っていたので、『MERU』にあった言葉に強く共感したんだと思います。

翌日は、次の浅草岳のため、6km先の宿への移動し、そのまま浅草岳への下見登山をしました。嘉平与ボッチの手前の、標高1450m付近まで登りました。今年は雪が少なくて、冬道ではなく、通常の登山道でも、登れることがわかりました。この日も、明日のための今日、という登山でした。

浅草岳は初めて登る山。まずは下見登山


下見の日は曇天、ホワイトアウトでよく見えなかったのですが、次の日は、快晴で展望良く、最高の登山日和でした。三百名山の浅草岳は、初めて登る山でしたが、下見を生かしてスピードを上げて進み、4時間で登頂できました。

山頂では、田子倉湖側に雪を掘って風よけのテラスを作り、日向ぼっこをしながら、越後の山、尾瀬の山など、2時間くらいマウンテンビューを楽しみました。

快晴の中、浅草岳をじっくり味わった


福島県側に下っていった時に、山名の由来となっている、山頂付近の雪田とたおやかな山容を見ることもでき、一日、浅草岳をじっくり味わうことができたと思います。

4月に入った新潟県からお別れして、福島県只見町へ下山しました。

 

心と体の乖離。その理由は・・・

休養と停滞を挟んで、12月19日に会津朝日岳に登りましたが、数日間、天気が読めず、計画通りに進まないことがストレスになっていて、心身が乖離しているような状態になっていました。

この日はなかなか気持ちが乗ってこなかったという


具体的には、荒海山、男鹿岳は雪の状況から先に延ばすことに決めていたものの、御神楽岳のあと、飯豊山に登るのか、登らないのかが、決められていなかったのです。

長い旅の中では、この「冬の飯豊山縦走」のように、ハードルの高い山が要所要所に出てきます。そこをどうしたら登らせてもらえるのか先行きが不透明のままだと、他の山にも精神面で影響を与えてしまいます。

この日も、翌日は雨、明後日まで待てば晴れるけど、その次の山の天気も気になるし、年末年始をどこで宿泊して、どこで過ごすかなどを考えていると、気持ちがモヤモヤしてしまっていたのでした。

暖かいコーヒーで心を落ち着かせて


朝は小雨でしたが、早めに曇りに変わりました。この日は比較的暖かく、山頂の稜線に出たあたりで、雲が晴れ、南側の展望が良くなりました。3時間で登頂し、山頂にて、温かいコーヒーを飲んで心を落ち着かせました。

200名山のときは8月で、ものすごく暑かった記憶があります。冬になって、どこの山も雪のコンディション次第ではスケジュールどおりに進むことができません。モチベーション維持の難しさを感じた山行になりました。

翌日は、朝から荒れ模様で、予定変更して停滞になりました。

そこで、飯豊山をスキップするという決断をしました。先々の山の情報収集と、宿の変更連絡を行いました。

地図と天気予報を見て、計画変更と情報収集。宿泊先への連絡も行う


飯豊山を縦走するには、最低でも3泊4日が必要で、朝日連峰の時は2泊の停滞があったことを考えると、1週間は覚悟しなくてはなりません。年始めにもう一度チャンスがあったら、会津若松から行こうかということを残していたものの、年内に登ることは諦めることにしました。

移動途中に、大塩の天然炭酸水へ立ち寄った


12月22日は、245座目、御神楽岳に登りました。4年前、下山したときのルートのはずなのですが、夏で脱水気味で、登山者の方に水をもらって下山したような状況で、あまり覚えていませんでした。

本名の駅前の宿から、林道を8km進んで登山道に入りました。林道歩きや、スラブ状の斜面の登降は、雪が多いと時間がかかるところだったのですが、今年は雪が少なかったことで林道ではコースタイムの半分で進むことができました。

冬至に登った御神楽岳。暖冬で雪が少ないことがプラスになった


標高950m付近から雪が出てきて、灌木が覆われて歩きやすくなっていました。標高1266m、福島県にある本名御神楽岳から、御神楽岳本峰への吊尾根はちょっとだけ新潟県。もう新潟県とはお別れしたと思っていたのですが、もう一度、新潟県に入ったのでした。

御神楽岳は新潟県側の尾根の先に本峰があった


4年前に登った「下越の谷川岳」の岩壁を見下ろしました。山頂は雲に包まれてしまったため、避難小屋まで下山し、ブナの大木の下、昼ごはんを食べて下山しました。

一年で一番日の短い、冬至の登山でしたが、往復27km、9時間で日帰りすることができました。

例年どおりの雪なら、林道が進めないくらいの雪で、1泊2日かかったかもしれない、という山でした。

 

2019年最後の山は七ヶ岳。年末年始は会津若松で過ごす

只見町から昭和村へは、2日かけて、ゆっくり登っていくような移動でした。気温が低く、玉梨温泉の共同浴場(200円)で温まりました。

昼に立ち寄った食堂では、東北らしい枝豆を使った「青ばと(枝豆)とうふ」も食べました。贈答品は、じっくり熟成させ、1万円以上する高級品もあるそうです。豆腐ドーナツ2+2、厚揚げ、ホット豆乳など、豆腐づくしの昼食は初めてでした。

玉梨温泉の共同浴場に立ち寄る。昭和村手前の豆腐屋にて、豆腐づくしの昼ごはん


クリスマスイブの12月24日は、南会津町への移動でした。雪の降る中を標高1000mの峠のトンネルを越えて、南会津町に下るのですが、朝、昭和村から峠に登っていくあたりで、風で地吹雪が舞っていて、初冬の北海道を思い出す景色に出会いました。

ふるさと北海道を思い出す景色に出会う。コンビニでケーキを買って、メリークリスマス!


クリスマスの日は、246座目、七ヶ岳に登りました。標高1030mの黒森沢登山口から8時にスタートしました。七ヶ岳林道は長期間通行止めだったのですが、2019年に復旧したため、林道からアプローチすることができました。

放射冷却により、気温は−7℃くらいで「体の芯まで届く寒さ」でしたが、雪は少なく、七ヶ岳はまだ冬山になりきれていない様子でした。修験者が護摩を焚いたという滝の上、滑床状の沢が凍っていて、アイゼンを使って登りました。

七ヶ岳へは2019年に再開した林道をつかった。常滑の滝を登る


七ヶ岳の、最高峰・高倉山はスキー場のリフト上部にあります。まず最高峰に立ち、そこから、一番岳(七ヶ岳)から七番岳まであるのですが、二番から六番までは、看板がなく、わかりにくいところもありました。七番岳(下岳)へと縦走して下山しました。

七ヶ岳では1番岳から7番岳まで登った


そして、この七ヶ岳で、3百名山、2年目の最後の山となりました。

1年目、121座、2年目は125座、ここまで246座に登頂し、残りは55座になりました。

移動2日目には、5年4ヶ月ぶりに、ソースカツ丼の「むらい」に立ち寄りました。

このお店は、計画当初から、絶対に立ち寄ろうと思っていた思い出深いカツ丼のお店のひとつで、昼の営業時間に間に合うよう、雨の中を走って、宿から4時間半で到着しました。

思い出深い「むらい」に立ち寄り、カツ丼をいただく


5年前の教訓を生かし、カツとご飯の配分を考えながら、食べました。会津若松に到着し、会津若松で年末年始の1週間ほどを過ごすことに決めました。

晴れた日に、会津若松市内を歩き、鶴ヶ城を見学、名物のあわまんじゅうを食べる


大晦日は、宿泊先で年賀状を書いていた。年越しそばは会津若松駅の駅そばで


3年目の元日は、会津若松で迎えました。市内で一番古く、格の高い、延喜式内社 蚕養國神社(えんぎしきないしゃ こがいくにじんじゃ)で初詣をしました。さらに東山温泉の羽黒山神社で、1225段の石段を2時間かけて5往復しまして、「新年初登山」としました。地元の中学生・高校生たちがトレーニングをする山らしく、参拝の方に「がんばれ」って声をかけてもらいました。

初詣は蚕養国神社で。羽黒山神社では1225段の階段を5往復!


1月3日、箱根駅伝で母校の明治大学が6位になりました。ふりかえると、昨年は2日に、大手町のスタート直後のところで応援したのでした。5年ぶりにシード権獲得!の活躍に刺激され、市内の背あぶり山へ駆け登りました。往復20km超になりました。途中、山に向かう林道に、クマの足跡を見つけました。気温が高く、まだ冬眠していないようでしたが、冬眠しないまま冬を越してしまうのかもしれません。

市内の背あぶり山へ走って登る! 往復20kmのトレーニング

 

取材日:2020年2月4日
取材協力=グレートトラバース事務局

 

関連リンク

「日本3百名山ひと筆書き」に挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
http://www.greattraverse.com/

 

今回のレポートで登った山のまとめ

守門岳 [12月13日/14日]

浅草岳 [12月16日]

会津朝日岳 [12月19日]

御神楽岳 [12月22日]

七ヶ岳 [12月25日]

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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