10月でも立山はわずか一日で大量積雪。1989年10月8日の立山中高年大量遭難事故の現地検証
2021年10月20日、北アルプス立山周辺では、寒気が入り込みかなりまとまった積雪となった。かつて、この時期・この地では季節外れの大雪で大量遭難事故が起きている。ちょうど寒気が入ったときに立山室堂に向かった大矢氏は、大雪の理由と現場で感じたことをレポートする。
登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。
10月でも立山はわずか一日で大量積雪。1989年10月8日の立山中高年大量遭難事故の現地検証
2021年10月20日、北アルプス立山周辺では、寒気が入り込みかなりまとまった積雪となった。かつて、この時期・この地では季節外れの大雪で大量遭難事故が起きている。ちょうど寒気が入ったときに立山室堂に向かった大矢氏は、大雪の理由と現場で感じたことをレポートする。
『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』に込めた強い思い、メッセージ
山岳防災気象予報士の大矢康裕氏が、本連載を下敷きに書き下ろした著書「山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす」がいよいよ発売となる。大矢氏自身が語る、本書籍のみどころや、こぼれ話を紹介する。
2004年2月の大長山遭難事故――、暖冬シーズンの中で起きた豪雪からの14名全員の生還劇
「強い冬型の気圧配置」は、続いても2~3日だが、上空の気圧配置が「鍋底型」となると、長く続くことになる。2004年2月の大長山での遭難事故は、まさにそんな気圧配置になったために起きたのだった。
前代未聞の大量遭難、1963年1月の薬師岳遭難事故(三八豪雪)は、二つ玉低気圧とJPCZ(日本海寒気団収束帯)が原因
大学山岳部のメンバー13名が亡くなった、1963年・北アルプス薬師岳での山岳遭難。「三八豪雪」と呼ばれる想定を越えた豪雪が襲ったのが直接の原因だが、当時のデータを現代の技術で紐解くと、さまざまな面が見えてくる。
2013年11月、北アルプス真砂岳での雪崩事故の教訓―― 11月でも雪崩は起きる! そして温暖化しても中部山岳北部でのドカ雪の頻度は増える!!
2013年11月に起きた北アルプス真砂岳での雪崩事故では、7名が大規模な雪崩に巻き込まれた。まだ積雪の少ない11月にも関わらず、なぜ大規模な雪崩が起きたのか。
積雪のために撤退したトムラウシ山の想い出、利尻山には何故雪がなかったのか? その答えは海にあった
1991年9月、「りんご台風」が去った後に向かった北海道登山。筆者はトムラウシ山で積雪のために撤退を余儀なくされた。前々日の利尻山にはなかった雪は、なぜトムラウシ山にはあったのか? 55年長期再解析データ「JRA-55」を利用して検証する。
1959年10月、南岸を通過した台風18号による大量遭難。生死を分けたのは「濡れた衣服を着替えたかどうか」
1959年10月10日、台風の影響で、大学山岳部や社会人山岳会の数パーティーのうち8名が低体温症によって亡くなった――。当時、「台風崩れの南岸低気圧が引き込んだ寒気」とされたこの山岳遭難事故、今の技術で分析してみると、他の部分にも原因が見えてきた。
台風が季節外れの強い寒気を呼び込んだ――、1989年10月8日の立山中高年大量遭難事故
1989年10月初旬、北アルプス・立山連峰。10人のパーティが強まる吹雪の中で次々に身動きが取れなくなってしまった。まだ10月初旬だというのに、なぜ大量遭難を起こすような吹雪となったのか?
「聖職の碑」の教訓を風化させてはいけない!! 台風と低体温症の恐ろしさ
山岳小説の金字塔「聖職の碑」の中で起きる山岳遭難は、今の時代に照らし合わせても、気象遭難の教訓として大いに参考になる。古い文献を掘り起こして当時の気象状況を探ると、「台風による低体温症」という様子が見えてくる。
2018年7月28日の富士山の遭難事故――、台風が異常な経路を取った理由は?
今回取り上げるのは、常識では考えられないような進路をたどった2018年7月の台風12号が引き起こした、富士山での山岳遭難事例です。なぜ異常な進路をたどり、それにより何が起きたのかを分析します。