春の雪山――、軽装備の登山者から準備と心構えを考える

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ゴールデンウィーク前あたりから、雪山にも多くの登山者が訪れる。とくに北アルプスの唐松岳や谷川岳などのようにアクセスの良い場所では、数時間で山頂まで往復できるので、天気が良ければ夏山シーズンのような盛況ぶりとなっている。「簡単に登れた」という声も聞こえてくるが、やはりそこは雪山。しっかりとした雪山装備を準備し、リスクも考慮して入山したい。

 

「簡単に登れた!」は、ラッキーが重なっただけかも

本格的な風雪に明け暮れた雪山の季節が落ち着き、春の雪山のシーズンが来ると、アプローチの発達した雪山は、「晴れ」の天気予報が出ている時などは多くの登山者が訪れます。代表的なのが谷川岳・天神尾根や唐松岳・八方尾根です。いずれもゴンドラやリフト、ロープウェイを使えば、歩くことなく森林限界以上まで登れるうえに、いきなり高山の圧倒的な雪景色の中に来ることができます。

これらの山域では、好天の時を狙って、多くの登山者が日帰りで本格的な雪山登山を楽しんでいます。例えば好条件が予想される日の八方尾根では、リフト終点の八方池山荘前から山頂を目指して、登山者が雪の斜面を続々と登って行く様子が確認できます。登山者に混じって山スキーヤー(バックカントリースキー)もいて、雪山登山の低調が信じられない盛況ぶりです。

そこにいる登山者の装備はさまざまです。雪山用登山靴に雪山用のアウターを身に着け、アイゼン&ピッケルを持ち、ワカンも準備している正統派の雪山装備で登っていく横を、トレッキングシューズにトレッキングポール、足元はシューズチェーン(チェーンスパイク、チェーンアイゼン)といった軽登山装備で出発する登山者も目にします。もっとも、軽登山装備の人は必ずしも山頂に立つことを目指していないようで、「白馬三山のキレイに見える八方池から丸山までは登るけど、そこから先は様子を見て」という人も少なくないようです。

八方尾根の残雪の登山道を歩く登山者(写真/やまさんの登山記録


春の雪山の魅力は独特です。気温が上がれば行動中は厚着をせずに済むので、身軽に行動できます。また、日照時間が伸びて、行動できる時間は真冬と比較すると桁違いに長くなります。その一方で、春の雪山は「一日の中に四季がある」と言って良いほどの気温の変化があり、陽射しの変化によって雪質が時時刻刻と変わるのが特徴です。

前日の好天と高温でザラメ雪と化した雪面は、朝一番の冷え込みでガリガリになり、雪解け水の流れた場所では氷の斜面と化している場合も珍しくありません。ところが、ちょっとした陽射しで簡単に緩んで歩きやすい雪質となり、先行者のトレースの足型もキレイに出来上がり、安定して登れる時間もあります。一方、更に暖かく、強い陽射しを浴びると、あれほど快適に歩けた雪原は表面が柔らかくなり、脛から膝近くまでボコボコと潜り、トレースの上でも体力のいるラッセルを強いられることもあります。

唐松岳八方尾根や谷川岳天神尾根などの「ポピュラーで容易な雪山」と思われている場所でも、このような雪山の一日の変化の激しさがあることを、意外と知られていないのでは? と心配になります。

八方尾根を例に実際の山の様子を紹介すると――、八方池山荘前でリフトを降りて身支度をして、目の前の傾斜のある尾根を登りだします。ここは、右側(北側)は急峻な斜面ですが、左側(南側)は傾斜も緩く、手元にピッケルが無くても雪質が安定していれば恐怖感は感じないでしょう。

そして石神井ケルンから第三ケルンまでは広大な幅広い雪原の連続です。右側に白馬三山、左には五龍岳から鹿島槍の稜線が美しく見えて、春の雪山の魅力を満喫できる場所です。

そして下ノ樺、上ノ樺を過ぎて丸山への急登を登ると、尾根は徐々に痩せ、「馬ノ背」と呼ばれる緊張の雪稜が続きます。県境尾根の手前では、沢の上部をトラバースする少し恐怖感のある部分もありますが、ここを過ぎると唐松岳頂上山荘前に立ち、強い西風の向こうに地獄の山のような剱岳の圧倒的な姿を見ながら山頂に立ちます。

雄大な風景を楽しみながら歩ける唐松岳の稜線(写真/すてぱんさんの登山記録


山頂まで好天に恵まれ、気温も極端に上がることなく、雪質も「適度な硬さ」が続くならば「夏より快適に登れた」などとネットの登山情報に書きたくなるのも分かります。ただ、これはラッキーが続いただけだったと考えるべきです。

もし朝のザラメ雪がキックステップでも爪先が少ししか入らない硬さだったら・・・、丸山から先のヤセ尾根や県境尾根手前のトラバース部分が氷結していたら・・・、ここに強い風が吹き出した場合・・・、と考えれば、安全に登るためには10本爪以上のアイゼンと、シッカリと斜面を捉えるピッケルがどうしても必要となります。「夏より簡単」だったのは条件が良かっただけ、と考えるのが正しいでしょう。

 

自然の厳しさにも目を向け、十分な準備をもって入山を

冒頭で「春の雪山は一日の中にも四季がある」と書きましたが、明け方はゴールデンウィーク前後でも氷点下10℃近くまで下がることがある一方、日中には15℃近くまで気温が上がるのは日常的なことです。そして「メイストーム」と呼ばれる、突発的にその山域だけの風雪の襲来することもあります。薄着のままで、突然の風雪に見舞われてアウターを着る余裕がないままに、次々と寒気に倒れる様な事例が過去には何度か発生しています。

現在のトレッキングシューズ(布製軽登山靴)は性能が良く、防水透湿性の素材は断熱材が入らなくても保温性があり、春の雪山では「足が冷たい」と思わずに雪の斜面を登下降できます。その一方で、柔らかい作りのために雪山登山靴のように変化する雪質には対応できません。キックステップで蹴りこんだり、アイゼンをシッカリと固定したりする機能は持っていないため、悪条件にあった時に大きな違いが出てきます。

また、トレッキングポールは、身体のバランスの保持には役立ちますが、ピッケルのように強風下で身体を支えたり、小さなスリップに対応したりする初期制動の機能はありません。

最近、本格的な雪山でも使用する人が多くなっているシューズチェーンは、一定の固さの雪面には有効でも、氷結した急斜面などには効果はありません。やはり雪山では、本格的なアイゼンで状況に合わせたアイゼン歩行技術を身に着けていることが必要です。

ゴールデンウィークの谷川岳・天神尾根(写真/jimzim さんの登山記録


なお、ここで言うシューズチェーンとは、靴底全体を覆うチェーン(クルマの雪用チェーンと理屈は同じ)に5mmほどの「爪」をたくさん装着したものを指しています。誤解のないように書くと、樹林帯の中の踏み固められたトレースなどでは極めて有効な装備です。しかし、本格的な氷結した斜面や、グサグサの緩んだ雪面では効果がありません。滑落の心配のない雪道などに力を発揮する装備であり、万能だと過信しないことが大切です。

そして、ボコボコ潜る雪質の時はワカンが極めて有効です。春の融け出したザラメ雪はワカンが最も効く雪面だと思ってください。

ゴンドラやリフトなど、文明の利器を利用して歩くことなく一気に出発点に到達できるようになっても、谷川岳も唐松岳も本格的な雪山です。尾根の幅広い部分では好条件の場合は雪山散歩を楽しめますが、いったんホワイトアウトに会えば数分でトレースも消えます。雪庇なども黙視できなくなり、気構えや準備の無い登山者には、なす術がありません。軽装で訪れた登山者の多くが「これだけ沢山の登山者が、同じような準備で登っているから・・・」と思うかもしれませんが、自然の厳しさにも目を向けて欲しいです。

日本の春の雪山は一年の中でも一番、山が美しく楽しくなる季節です。慎重に準備して安全に楽しんでいただければ、と思います。

プロフィール

山田 哲哉

1954年東京都生まれ。小学5年より、奥多摩、大菩薩、奥秩父を中心に、登山を続け、専業の山岳ガイドとして活動。現在は山岳ガイド「風の谷」主宰。海外登山の経験も豊富。 著書に『奥多摩、山、谷、峠そして人』『縦走登山』(山と溪谷社)、『山は真剣勝負』(東京新聞出版局)など多数。
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