川の生涯を辿る山旅、それが笛吹川東沢釜ノ沢。改めて、この沢の体験を勧める理由

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奥多摩や丹沢で沢登りを体験して、さらに何本か入渓して沢登りに慣れてきたら、ぜひ笛吹川東沢釜ノ沢を目指してほしい。沢登りという日本独特の登山形式を創り出された、まさに沢登り発祥の地とも言える場所は、沢登りの魅力がギッシリと詰まっている。改めて、その歴史と魅力を振り返ってみよう。

 

地形図に徒歩道として明記されていた笛吹川東沢釜ノ沢

甲州(山梨県)、武州(埼玉県)、信州(長野県)の三県に跨る甲武信岳(2475m)は、日本を代表する分水嶺です。山頂に落ちた雨は、北西方向の斜面に流れれば千曲川から信濃川となって日本海を注ぎ、北東に落ちた水滴は荒川となり東京湾に流れます。そして南面に落ちた雨は笛吹川から富士川となって駿河湾へと向かいます。

★前回記事:川から谷、谷から沢を遡行して水源を究めて山頂に立とう! 「沢登り」のススメ
★前回記事:「さぁ、沢登りを始めるぞ!」という人、必要な装備とおすすめの体験コース

穏やかに流れる千曲川や、鬱蒼とした原生林に向かって落ちて行く荒川と違い、南面に開けながら急峻に落ちていく笛吹川は古くから見事な磨かれた花崗岩の流れで沢登りの好ルートとして遡られていました。

当時の地形図にも、その様子をうかがうことができます。手元にある、「昭和48年測量・昭和60年修正測量」の国土地理院2万5千分の一の地形図を見ると、驚くことは笛吹川東沢釜ノ沢沿いには登山道表記があることです。

昭和60年(1985年)修正測量の地形図には、笛吹川東沢釜ノ沢沿いに徒歩道が明記されていた。それほど当時は利用されていたルートだった


僕が初遡行したのが1070年(昭和45年)でした。当時の記憶をたどると、確かに西沢渓谷入口バス停から二俣で西沢渓谷を分け、ホラの貝ゴルジュなどを経て、山の神までは登山道といって良いほど整備されていた歩道があったのです。

一方で、そこから上流については登山道と言えるモノはなく、東沢を何回となく徒渉して釜ノ沢出合へと向かったのは現在と変わりません。ただ、現在に比べると遥かに沢登りを行う登山者の数は多く、徒渉点などはハッキリとしていました。それほど、この釜ノ沢は実に多くの遡行者を迎えていたのです。

少しだけ思い出話をすると――、当時の登山者は新宿発23時55分発の「各駅停車・長野行き」に乗り、深夜に塩山駅で降り、春から秋にかけての週末のみ接続運行されていた西沢渓谷手前の広瀬行きのバスに乗り、明け方前からヘッドランプで歩きだし、夜行日帰りで水源まで遡行して甲武信岳に立つ――。その日のうちに西沢渓谷から広瀬へと下山する「夜行日帰り」が一般的な登山スタイルでした。

シャクナゲが咲き出す五月末頃から、上部でベルグラ(薄氷)が張り付く紅葉の十月まで、晴れた日曜日にはこの沢を訪れる登山者が点々と見られた時代だったのです。

東沢釜ノ沢から始まった日本独特の登山形式「沢登り」

2020年8月に、『「笛吹川を遡る」~日本に世界に「沢登り」を誕生させた登山』を執筆して、この笛吹川遡行を、近代登山として最初に行った田部重治氏の冒険的な遡行の歴史的な意義を書きました。

田部重治氏の代表的な選集である「山と渓谷」(ヤマケイ文庫)に収録された笛吹川を巡る記録では、1915年5月に「笛吹川を遡る」の名文で知られる笛吹川から東沢、信州沢と遡行して長野・山梨県境を越えて長野県川上村へと奥秩父主脈を横断し更に十文字峠を越えて秩父へと雄大な山行を行っています。

続いて、当時、遡行不可能と言われていた東沢釜ノ沢を1917年5月に遡行して甲武信岳に登頂し、秩父へと真ノ沢を下降して「笛吹川から荒川へ」を著しています。

その後も「釜沢より甲武信岳に登る」を連続して書いたように、何度も笛吹川を訪れて、甲武信岳に登る最も刺激的なルートとして遡行しています。そして「奥秩父の美は寧ろ渓谷にある。そしてこれほど壮絶な、これほど潤ひを有する渓谷を、何處に見出すことが出来るだらうか(山と渓谷)」と総括しています。

大正時代の笛吹川東沢は、地図もなく資料もなく、ただ、この渓谷が間違いなく甲武信岳から流れ出す――、ということだけしか分からず、磨き上げられた花崗岩の白い谷を遡行していく田部氏らの冒険心は、日本の登山の黎明期に「沢登り」という、日本独特の登山形式を創り出した見事な登山だったと思います。

 

川の生涯を辿る山旅、それが笛吹川東沢釜ノ沢

笛吹川東沢釜ノ沢の素晴らしさは、甲武信岳へと登る最も刺激的で楽しく美しいルートだということです。西沢渓谷入口付近では滔々と流れる笛吹川という名にふさわしい「川」が、やがて二俣で西沢を分けて、上流に向うにしたがって両側が屹立したゴルジュを形成して、少しずつ「谷」という呼び方が似合う渓谷となっていく――。

奥多摩、丹沢の沢で沢登りを覚えた僕にとっては、この沢の姿に驚きました。それまでの沢登りは、滝や釜、ゴルジュが現れる場所から遡行を始め、そのスリリングな場所を遡っていく登山だったのに対して、笛吹川の遡行は川の一生を辿っていく山旅だったことに感動しました。

笛吹川東沢釜ノ沢の様子。下の紹介文の場所がどこを指しているのか確認してほしい


笛吹川を遡ることの魅力は、登山としての渓谷を水源まで辿ることでしょう。そんな魅力ある遡行のポイントを改めてダイジェストで紹介したいと思います。

二俣の先で東沢の鶏冠谷出合を渡渉する所から沢登りの要素が始まります。山ノ神まで不安定に続く山道は、単なるアプローチではなく、清兵衛沢が滝となって左岸から注ぎ、次にホラの貝沢が滝となって合流する所で田部氏一行がビバークに追い込まれたホラの貝の圧倒的なゴルジュと出会い、随所に目を見張らせる渓谷美を創り出しながら、山道は終わります。

田部重治氏がビバークを余儀なくされたホラ貝のゴルジュの圧倒的な迫力


釜ノ沢出合までは、何度も谷を渡渉しますが、その間も屹立したスラブとなって合流する東御築江沢、300mの明るい白い巨大なナメ滝で合流する東のナメ沢、美しい乙女ノ沢、明るい穏やかなナメ滝の連続で合流する西のナメ沢と左右から次々と合流する支流が滝となって落ちるのを見ながらの遡行です。

巨大なナメ滝となってスラブを見せる東のナメ沢


釜ノ沢に入り、いきなり迫力ある魚止ノ滝を小さく巻いて落ち口に立つ所から釜ノ沢の遡行が始まります。白い花崗岩の一枚岩を滑るようにナメ滝が跳ね上がるのを越えた所から出会う千畳のナメ。沢幅一杯に緩い傾斜の上を滑るように流れて行く様は見事です。

千畳のナメは奥秩父でも最高の渓谷美の1つだろう


やがてナメは少しずつ傾斜を付けてナメ床からナメ滝となった中をシャワーを浴びながら登り切り、6mの滝で少しゴーロになった後、釜ノ沢西俣と東俣が左右から30mの落差となって落ちあう、この釜ノ沢で最も美しい両門ノ滝に辿り着きます。

釜ノ沢のハイライト、両門ノ滝の渓谷美


そしてその上でヤゲンの滝を越えると釜ノ沢は沢幅を広げ、広河原となって連続した渓谷美は一段落します。長い広河原のゴーロに飽きる頃、水師沢の出合手前から再び滝が連続し、少しずつ強まる傾斜に疲れてくる頃、頭上に甲武信小屋の水源のポンプ小屋が見えだし、笛吹川の水源へと登り着きます。水源から奥秩父主脈縦走路となる甲武信小屋へは15分ほどの原生林の中の登り、そして甲武信岳へは更に20分ほどです。

笛吹川東沢釜ノ沢は南面に向いているので明るい谷ですが、暗い谷底を歩いて来た者には、まず富士山、南アルプス、八ヶ岳の広大な明るい展望が、そして降り注ぐ太陽が、本当に眩しいはずです。甲武信岳山頂から南側を見下ろせば、足元まで食い込む笛吹川源流が釜ノ沢出合まで見下せます。

「あそこを登って来たんだ!」

自分の越えてきた連続する見事な滝や釜、何よりも澄み切った渓谷の美しさが、展望以上に遡ってきた者の胸を打つはずです。

 

沢登りで、笛吹川東沢釜ノ沢の素晴らしさを共有しよう!

笛吹川東沢釜ノ沢は「沢登り」としては初級と言われています。上手な登山者なら、条件次第でロープで確保し合うことなしに遡れる谷です。この谷の難しさを敢えて言うとすれば、その広大な流域の広さです。甲武信岳戸渡尾根から国師ケ岳、北奥千丈岳、黒金山に囲まれた山々が水源です。この無数にある支流、谷から流れ出す水は全て笛吹川に集まります。見事な森に囲まれており、少しの雨は原生林に吸収されるとしても、一定量以上の降雨で笛吹川の水量は増え、思わぬ厳しさで迎えてくることもあります。

直近では、2021年6月4日~5日で釜ノ沢を遡行しましたが(上流部で宿泊しました)。遡行前に連続して大雨が降り、山の神から釜ノ沢出合までの徒渉はロープ確保を何回も繰り返しました。そういった技術の無い場合、無理は禁物と言えるでしょう。

2021年6月4日~5日の釜ノ沢の様子。通常より水量が多く、苦戦を強いられた


もう一つの難しさは、西沢渓谷入口バス停前から甲武信岳山頂まで標高差1200mを越える大きな遡行となることです。「沢登りルート図集」などでは遡行時間6~7時間と紹介されていて、なかには5時間を切る時間で遡行するコースタイムを見ます。しかし10時間を越える時間を要するパーテイーも珍しくありません。早朝に出発して夕刻に甲武信小屋に宿泊するのが一般的であることを忘れないでください。

釜ノ沢自体は遡行図も発表され、さまざまな資料が出ているため、田部重治氏が意を決して挑んだ時とは状況は異なります。しかし、様相は大きく変わってはいません。その素晴らしさ、美しさ、そして時として壮絶な姿を見せる稀有な渓谷遡行は当時のままです。沢登りを始めた者が、東京近郊の沢登りの最初の大きな目標として挑むのに適しています。そしてここでの体験が、「沢登り」という、登山の新しい魅力の扉を開けることになるはずです。

 

プロフィール

山田 哲哉

1954年東京都生まれ。小学5年より、奥多摩、大菩薩、奥秩父を中心に、登山を続け、専業の山岳ガイドとして活動。現在は山岳ガイド「風の谷」主宰。海外登山の経験も豊富。 著書に『奥多摩、山、谷、峠そして人』『縦走登山』(山と溪谷社)、『山は真剣勝負』(東京新聞出版局)など多数。
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