“登る僧侶”小雪童さんに聞く、登山と山岳信仰のクロスロード

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噴火事故10年、山頂での法会の意味

今回の登拝は、噴火事故で亡くなった方々の供養を兼ねて、「理趣経」という経典を中心とした法会(経典を唱え仏を供養する仏教儀礼=法要)を、山頂に昨年再建された大日如来像の前で行うのが目的でした。山頂の大日如来像は10年前の噴火で破壊された。今回の法会にも来てくださった御嶽教の大鐘和久先達が呼びかけてお布施を集めて再建された。昨年、開眼供養にも誘われましたが都合が合わなかった。

宗教は違うけれども仏に供養を捧げたい。同じ宗派で先輩僧侶の戸塚さんにお声掛けしたら賛同してくれました。初の試みとして、真言宗の正式法会である理趣三昧法会を山頂で行なうことにしました。本来お寺の本堂で行なうものです。

――一昨年、登拝したときのメンバーも今回参加していますね。

神職さんもいっしょに登拝しましたが、そのとき御嶽山の信仰について詳しく教えていただきました。実際、それを踏まえて登拝の動画を流すと反響も大きい。大鐘先達たちにお声掛けすると好意的で、ほかにも仲間が集まってくれました。

御嶽山 登山口
登山口で今回の参加者を紹介する。自らも出演して動画撮影が始まる

「神様の場所で仏教の儀式をする」

――供養というのはどういった意味が宗教的にはあるのでしょうか。

お経をお唱えして仏さまをおもてなしして喜んでもらうことです。そのことで功徳を積めばご利益がある。理趣三昧法会は本来導師が勤め、仏様にお香、花、水を捧げておもてなしします。仏様は形だけでなく、手を合わせる人がいてこその存在です。伝統的な式をすればご利益も大きい。今回は功徳によって亡くなった人の供養をするということと、大日如来の力がますます大きくなるように祈ります。

――山頂は御嶽神社の奥の院です。神様の場所で仏教の儀式をするということになります。

御嶽山は神仏習合の山なので神仏合同の儀式も許されました。一昨年いっしょに登拝した神職さんに山頂で祝詞をあげてくれるように頼むと、快く引き受けてくれました。(雨天により延期)

御嶽山
「ここにお大師様がいて涙が流れた」(小雪童さん)。弘法大師空海のお告げがあり覚明上人が御嶽山を開山した

――今回の登拝では道々仏様の前で「おつとめをしましょうか」と読経をしていましたね。

お勤めはその略式です。御嶽山の行者さんたちが信仰する御嶽教はもともと神仏習合です。日本の宗教はもともと両部神道といって神仏習合でした。仏様が神様の姿をして現れて権現様になる。般若心経を唱え神様に喜んでもらう。

――山を登る行為自体は同じに見えても、山での修行を通じて悟りを得ることを目的とする修験と登山とは、意味が違う?

登山は景色がよくてなんぼですから今日みたいな荒天の日は登らない。修験の場合はもともと修行するために登っていますから「涼しくてありがたい」。そう感じるのも人間の幸せの一つのあり方ではないでしょうか。人はもともと複数の幸せのあり方をもっているものです。

修行とは仏=山と一体化すること

――仏教でいういわゆる「仏(ほとけ)」と山岳信仰の対象は同じ?

仏にはお釈迦様という意味と、「悟りを開いた人」「すべてを完成した者」という2つの意味があります。山岳信仰の場合、人智を越え、すべてを兼ね備えた山や自然が信仰の対象となり、仏教的な解釈では山は大日如来そのものです。大日如来は密教の仏、「宇宙の中心」「命の根源」、つまり真理です。たとえば風は大日如来の声であるように、山での自然現象や事物も大日如来が形を変えて現われたものです。

――そこでの修行はどんな意味がありますか?

仏と一体化する行為です。山の霊気、パワーを受けて人々を救済する。山で功徳を得て自分だけのものじゃなくて人々を救済するためにそれを使う。考えてみれば修行でも一般の登山でも得られるものは同じです。滝行にせよなんにせよ、修行は教義での解釈を通じて意味を与えられています。

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この記事に登場する山

長野県 / 御嶽山とその周辺

御嶽山・剣ヶ峰 標高 3,067m

 ♪木曽のなあ、仲乗りさん、木曽の御嶽山はなんじゃらほい、夏でも寒い、よいよいよい♪  哀調を帯びた木曽節に歌い込まれた御嶽山(御岳山)は、富士山、白山とともに信仰の山として知られている。現在でも夏には白衣の御岳講の人たちが、「六根清浄」を唱えながら大勢登っており、『信濃奇勝録』にも「信州一の大山なり、嶽の形大抵浅間に類して、清高これに過ぐ、毎年六月諸人潔斎して登る、福島より十里、全く富士山に登るが如し」と書いてある。  御嶽山黒沢口の登山道沿いには、「何々覚明」と刻まれた石柱が、所狭しと林立しているのが見られるが、江戸末期から明治初めにかけて、毎年何十万人も登ったといわれる御岳講の賑わいぶりが想像される。  この御嶽山は何回もの爆発を繰り返したコニーデ型の複式火山で、1979年(昭和54年)には突然、地獄谷に新しい噴火口を現出させ、日本中をびっくりさせている。また、91年、07年にもごく小規模な噴火をしている。  最高峰は3067mの中央火口丘、剣ヶ峰で、その周りを継子岳(ままこだけ 2859m)、摩利支天山(まりしてんやま 2959m)、継母岳(ままははだけ 2867m)などのピークが外輪山となって取り囲んでいる。  また、これらの峰々の間にはエメラルド色をした、一ノ池から五ノ池まで数えられる山上湖が散在している。なかでも二ノ池は標高2905m、日本で一番高い湖として知られている。これらの池を結んでの池巡りコースも考えられる。  登山コースは信州側から3本、飛騨側から1本の計4本がある。7合目の田ノ原までバスが上がる王滝口は歩行距離も短く、日帰りも可能なので最も登山者が多い。田ノ原から荒々しい地獄谷爆烈火口を眺めながら3時間強で剣ヶ峰に立てる。  御岳山で最も古く、信仰登山のメインルートである黒沢口も6合目までバスが入る。また御岳ロープウェイ・スキー場からロープウェイを利用すれば7合目まで上がることもできる。6合目から4時間30分で剣ヶ峰。  信州側第3のコースである開田(かいだ)口は、標高差も大きく、行程も長いので、開田高原散策と合わせて下山に利用した方がよかろう。西野から登るとなると距離も標高差も大きく、6時間30分で剣ガ峰。  飛騨側唯一の登山道で、標高1900mに湧く濁河(にごりご)温泉がベースとなる飛騨口は、原生林の中の静かな山旅を楽しめる。濁河温泉から5時間30分で剣ガ峰へ。  山頂からの展望は広大で、3つのアルプスや中部、関東一円の山々を見渡すことができる。また遠く加賀の白山も望まれ、日が落ちると名古屋の街の灯が美しい。  2014年(平成26年)9月27日にも噴火し、大きな被害を出したのは記憶に新しい。噴火直後に気象庁は入山を規制する「噴火警戒レベル3」を発表した。2022年7月28日現在、「噴火警戒レベル1(活火山であることに留意)」だが、引き続き火口から概ね500m程度の範囲で立ち入りが禁止されている。

プロフィール

宗像 充(むなかた・みつる)

むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって長野県大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(いずれも旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。

Special Contents

特別インタビューやルポタージュなど、山と溪谷社からの特別コンテンツです。

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