岐阜から自宅へ。恵那山登頂後、関東へ! 田中陽希さんの「日本3百名山ひと筆書き」 旅先インタビュー第10弾

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2018年1月1日に、屋久島からスタートした田中陽希さんの「3百名山ひと筆書きチャレンジ」は、11月中旬に恵那山を登ったところから方向を変え、関東へ。121座目に丹沢の大山を登ったところで2018年の登山を終了し、神奈川県にある自宅に帰ってきた(もちろん徒歩)。いったい何があったのか!? そして、このあと旅はどうなるのか――。田中陽希さんに聞いた。

POINT
  • 北アルプスのあとは岐阜県東部の山々を巡り、恵那山へ
  • 恵那山のあとは方向転換。神奈川の自宅を目指す! その理由とは・・・
  • 2019年元日から旅を再開! 向かうのは・・・

 

夏の豪雨の影響で入山ルートを変更 ~位山・川上岳~

まず、高山市内で病院に立ち寄り、骨折した右手指の状況を改めて診てもらいました。8月2日に骨折してから3ヶ月、ついに「完治」のお墨付きをもらいました。

北アルプスの40日間で伸ばしていた髭も、高山の理髪店で剃ってもらった


次の位山(くらいやま)、川上岳(かおれだけ)ですが、夏の豪雨の影響で、下呂市側のアプローチは通行止め。高山市側から登って、高山市側へ下山するルートに変更しました。

川上岳から位山へと縦走の予定だったのですが・・・、実際に山に向かってみると、入山口まで通行できないことがわかって引き返すことになり、結局、位山から登ってから、稜線づたいに川上岳を往復する、というルートを取りました。

巨石の点在する位山から川上岳への縦走路は、位山と川上岳を男神と女神に例え、その間に作った道、という言い伝えがあるために「天空の遊歩道」という名前が付いているとのことでした。

位山では「天の岩戸」のほか巨石がたくさん見られた

 

思いがけず「日本一」を発見。そして、御嶽山へ

御嶽山に向かうため、標高600mの高山市一宮から、標高1800mの濁河温泉へ40kmを移動しました。登り基調で「すでに御嶽山は始まっている」と感じながらの移動でした。

濁河温泉は「日本一高所の温泉街」だそうで、思いがけず「日本一」を発見することになりました。

御嶽山への道の途中、山麓の紅葉も堪能/「日本一高所の温泉街」を発見!


4年前、百名山のチャレンジでは、僕は御嶽山には6月に登り、9月下旬に噴火が起こりました。大勢の登山者が亡くなり、まだ行方のわからない方もいます。ですので、これまで登ってきた数々の山とは、山への気持ちが違って、とても神妙な心持ちで山へ入りました。

御嶽山へは、濁河温泉から飛騨頂上、規制エリア手前の二ノ池まで登り、往復しました。


登っている途中の御嶽山には、噴火したという恐ろしさはなく、むしろ山が本来持つ美しさを感じました。

しかし、4年前に見たエメラルドブルーの二ノ池が、火山灰が混じったグレーの池になっていたことで、ここで噴火が起こったことを改めて感じ、山頂に向けて手を合わせました。

編集部注:公式ウェブサイトには、この日の日記に、陽希さんの言葉で以下のように記されています。

「山はたくさんの恵みをもたらしてくれる一方で、時として甚大な力で襲いかかってくる存在でもあることを忘れてはいけないのだろう」

 

岐阜県東部を南下、山旅は続く

小秀山は、主稜線を境に南北で2つの顔を持つ山で、御嶽山の噴火にも関係すると考えられる「阿寺断層」の活動でできた阿寺山地の山です。山頂稜線は穏やかなのですが、南側は岩肌が露出し険しい崖となっています。
二百名山の時とは違うルートを採ったことで、南側の険しい面を見ることができ、阿寺山地の成り立ちを知ることができました。

阿寺山地最高峰・小秀山の南側は、断層によって大きな崖となり、滝が点在している


初めて登る奥三界岳も、阿寺山地のひとつです。長い林道歩きを含む、往復20kmの長丁場になりました。

遠目から見るとのっぺりしていてわかりにくい山容で、林道を歩いていても、登山道を歩いていても、最後まで山容を見ることができないという山でした。

奥山界岳へは林道が長く、往復20km超の長丁場となった


しかし、地元の人から、この山は「東濃ひのき」の産地で、尾張藩の御料林として、名古屋城の建材や、伊勢神宮の建て替えの際の木材などがこの山から運ばれる、と聞いたので、その様子を思いながら、登ることができました。山頂での展望が良く、遠く伊吹山まで見えたのも印象的でした。

 

山容が変わった! 中央アルプスの南端、南木曽岳と恵那山を登る

阿寺山地から移動し、木曽川を挟んだ南木曽岳では、ここまでの飛騨の山々とは違う印象を受けました。

ここは、ヒノキ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキの「木曽五木」が自生するというので、植生を楽しみに登りました。山頂部に花崗岩の大きな岩があり、摩利支天からの展望は迫力がありました。

南木曽岳へ。南木曽岳・摩利支天にて


翌日は、中山道の妻籠宿から馬籠宿への街道歩き。馬籠宿の入口にある展望台からは次の恵那山が見えました。

中山道の街道歩きも旅の思い出に加わった。岐阜県から長野県に入る。次の恵那山が見えた!


恵那山へは、歴史の古い神坂峠(みさかとうげ)から登りました。中央アルプスからの主脈につながるルートで、振り返ると、安平路山、越百山などの中央アルプスの山々につながっている、と感じられました。

ローカルフードも旅の楽しみ。街道では五平餅、山小屋では自炊で「鶏ちゃん」を食す

 

中央アルプスへは登らず、東へ! 入笠山では地図にない古道を登った

恵那山のあと、中央アルプスの山々は来年に回し、先々の計画で立ち寄りにくいと思われる山を登りながら関東へ向かいました。その理由は、最後に紹介するとして・・・。

初めて登る入笠山ですが、普通の登山者でしたら車で山頂付近までアプローチできるし、ゴンドラでのアプローチもできます。

そんななかで、身延山から宣教のために山を越えた高僧・日朝上人(にっちょうしょうにん)が歩かれた「法華道(ほっけみち)」というのがあると聞き、高遠町芝平(しびら)から登ることにしました。歴史ある登山道を使って登ったことで、すごく新鮮な登山になりました。この日は天気良く、入笠山の山頂からのパノラマも素晴らしかったです。

入笠山へは古道・法華道を登った。苔の美しいテイ沢を進む

入笠山山頂にて。大パノラマを堪能

 

深田久弥氏最後の山・茅ヶ岳では、3回目だったが新しい景色に出会う

日本百名山を選定した深田久弥さんが亡くなられた茅ヶ岳は、今回が3回目。しかし、過去2回は富士山を見ることができませんでした。

今回は、甲州街道を進んで山梨へ入り、前日、アドベンチャーレーサー仲間の家に泊めてもらってアプローチしたことで、初めて金ヶ岳経由での登山になりました。

そこで、金ヶ岳の稜線の巨石から、「茅ヶ岳越しの富士山」を見ることができました。金ヶ岳に登らなければ見られなかった景色で、大収穫だったと思います。

金ヶ岳から登ったことで見られた「茅ヶ岳越しの富士山」

 

今回は「じっくり登りたかった」、南アルプス前衛の櫛形山

3年前、南アルプスの農鳥岳の次に奈良田から櫛形山を目指したのですが、直前に最短のアプローチ道が使えなくなり、ロードを40kmも迂回し、1日の行程が70kmにもなってしまったという経験がありました。

そのため、櫛形山を楽しむ余裕がなかったという記憶が残っています。

先々、南アルプスでのルート取りにおいても、櫛形山は少し外れた場所にあるので、山をじっくり味わうためにも、今年のうちに登っておきたい山、と考えていました。

時間の許す限り、山頂稜線歩きを楽しみたかったので、北尾根コースから裸山、櫛形山へと歩きました。山頂は樹木に覆われているのですが、11月下旬だったことが幸いして「落葉した樹木の窓から見る富士山」というのを見ることができました。

櫛形山の山上稜線から白根三山が見えた。山頂の「樹の窓」から富士山を望む

 

黒岳から三ツ峠山へ一日2座。外輪山の稜線から、様々な姿の富士山を見る

御坂山塊にある三百名山の黒岳へは、大石峠から富士山外輪山の稜線を縦走しました。稜線に出ると富士山がドンと見えました。ここまでの旅の中で、もっとも近い位置から富士山を見たことになります。

黒岳の稜線から。ここまでで最も富士山に接近した


黒岳登頂後は、御坂トンネルに下り、三ツ峠山へと縦走しました。富士山展望の山として有名ですが、3年前は富士山が見えませんでした。しかし、今回はしっかり見ることができました。

下山時には、夕暮れの富士山も見ることができ、一日中、いろいろな表情の富士山を見ることができたのがよかったです。

朝から夕方まで、いろいろな表情の富士山を堪能


それから、黒岳に一等三角点があって驚いたのと、展望台に富士山に向けたライブカメラがあって、調べたら定期的に撮影されるようだったので、タイミングを待って映り込みに成功しました。

◆ライブカメラ リンク:笛吹市「ふえふき観光ナビ」

天候に合わせ休息日も。富士吉田市内散策し、スワンボートを体験。乗り物だが人力なので◎

 

晴れを狙った御正体山は・・・。そして、丹沢山地へ

二百名山の御正体山は、3年前、霧に包まれてしまい展望を得られませんでした。今回こそはと、前日を休息日にして、天候を調整して登ったつもりだったのですが・・・。登り始めは晴れていたものの、山頂に近づくと濃霧に! 「もう笑うしかない」、という心境でした。

ただ、前回は三ツ峠山から一日2座だったのに対して、今回はゆっくり味わえたので、良かったと思います。

石仏の多い御正体山。残念ながら、山頂では霧に覆われてしまった


御正体山から下山し、翌日、道志村から丹沢山地に入りました。ついに神奈川県に入ったのです。道志の湯~加入道山~大室山~犬越路~檜洞丸~蛭ヶ岳~丹沢山と、西から東への縦走を計画しました。コースタイムは13時間。日が短い季節ですが、十分行けるだろうと考えました。

ただ、地図を見ていても十分読めていなかったところがあって、標高差400〜500mのアップダウンが思ったより厳しく、丹沢山系の心臓部の険しさをたっぷり味わいました。

この日は常に展望がよく、人に会うことが少なかった分、山と向き合うことができ、気持ちが良かったです。また丹沢山系の山小屋は、稜線にポツンと立っている印象で、この景観がとても良かったです。

丹沢山塊の険しさも、魅力もたっぷり味わう2日間だった 


翌日は、丹沢山から塔ノ岳まで進み、大倉尾根を大倉登山口まで下りました。次の大山へは稜線伝いではなく、正面から登りたかったのです。大山にある宿坊に泊まりましたが、1人で泊まれる宿坊が少ないのが意外でした。

信仰の山は表参道から。大山の男坂を登る


大山へは「霊山・信仰の山は表参道から」の信条どおり、コマ参道から登りました。そして、2018年の三百名山登山は、121座目の大山でいったん終了しました。

 

約11ヶ月ぶりに自宅に帰った陽希さん。帰ってきた理由はいったい・・・

実は、免許の更新(再取得)をしなくてはならなかったのです。出発直前にそのことに気づいたのですが、誕生日は夏だったので、免許の「再取得」を12月中に済ませなくてはならかったのです。

旅の間中、そしてこの先も当分、車に乗ることはないのですが・・・。歩いて帰ってきて、使わない免許を更新するのも歩いていく、というのは誰もやったことがないんじゃないかと思い、今回、恵那山からはこのような旅をして関東に向かっていたのでした。

これが12月までに神奈川に帰ってきた理由。でも免許を使うのは再来年?


一年を振り返ってみると、当初の計画では大山までは205座の計画でしたので、予定より約80座少なかったのです。そう考えると、このひと筆書きチャレンジは、あと1年か、1年半はかかりそうです。

ただ、旅は「生きもの」のようなものだから、予定通りに進まなかったことへの不安や後悔は一切ありません。
この先も、ひとつひとつの山にしっかり向き合って、進んでいきたいと思っています。

12月は登山を休止し、都内の関係各所を「人力」表敬訪問。サポートを受けているゴールドウイン、jROほか各社へ

山と溪谷社にも立ち寄っていただいた

 

2019年元日より旅を再開! この先の予定は?

2019年は1月1日に神奈川の自宅から再スタートします。房総半島をひと回りしてから、関東周辺の雪の少ない山、雪があってもこの時期に登れる山に登ります。

その後、3月後半には再び北陸へ向かい、登れなかったヤブ山の3つを登って、旅を続けていきます。

12月25日行われた相模原市での交流会には350人ものファンが集まった

 

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田中陽希さんの「3百名山ひと筆書きチャレンジ」は、2019年も続く! 人力10,000km、日本3百名山ひと筆書きの旅を応援しよう。

取材日:2018年12月27日
写真提供:グレートトラバース事務局

 

人力10,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう! もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
北アルプスは山も多く、ここに掲載できたエピソードは、ほんの一部。詳しくは公式サイトの「日記」でチェックしよう!
グレートトラバース3 公式ウェブサイト

 

今回のレポートで登った山のまとめ

位山川上岳 [11月7日]

御嶽山 [11月10日]

小秀山 [11月13日]

奥三界岳 [11月15日]

南木曽岳 [11月16日]

恵那山 [11月18日]

入笠山 [11月21日]

茅ヶ岳 [11月24日]

櫛形山 [11月25日]

黒岳三ツ峠山 [11月27日]

御正体山 [11月29日]

丹沢・丹沢山 [11月30日、12月1日]

大山 [12月2日]

 

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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