2月までに歩いた距離は約1600km!? 関東の山々をグルッと回り、伊豆半島へ/田中陽希さん・旅先インタビュー第12弾
日本三百名山ひと筆書きに挑戦中のプロ・アドベンチャーレーサー、田中陽希さん。2019年2月から3月までの約1ヶ月の旅を追う。
関東周辺の三百名山を登って、夏に登れなかった北陸のヤブ山3座へ戻るという長大な計画の中、2月上旬、次に目指していたのは二百名山の浅間隠山だ。
- 生まれ故郷の埼玉へ。両神山、武甲山で新たな発見!
- 今回は登れなかった箱根山。夏にまた来る!?
- 天城山、愛鷹山を終えて東海道へ!
群馬、埼玉、東京。山を登って、つないで進む
浅間隠山には二百名山の時に登っていて2回目になります。今回は前回とは逆から登る予定だったのですが、役場に問い合わせたところ、登山道が通行禁止となっていることを知りました。
一日かけて迂回するのか!? と覚悟したのですが、古道・廃道をつなげると、いったん栗平峠を越えて北軽井沢へ出て、高崎市側の二度上峠から登るなら、半日で登山口に立てそうと判断。
遅くに登り始めたのと、西高東低の冬型の気圧配置で、北風が強く、気温も低かったため、山頂に長居したくないくらいでしたが、山頂からは浅間山もしっかり見えました。
翌日は高崎市で「絶メシ」のニジマスの「ます重」を食べました。「絶メシ」とは「担い手・引き継ぎ手がいないため、絶滅の危機に瀕している料理」を、2018年から高崎市がまとめ、発表しているものだそうです。ニジマスを使ったます重は、これまでの旅でも初めて食べた料理。先々代がサンマの蒲焼からヒントを得て、ニジマスで作ったものの、引き継ぎてがいないために、「絶メシ」に指定されたそうです。味は自分の好みで、うまい! という一品でした。
県境を越えて、埼玉県へ。関東1都6県をグルっと回ってきました。この日の寒波で、中央アルプスで遭難事故があり、友人が亡くなったことを知りました。
亡くなった友人は、昨年、K2の登山隊を率いて登頂に成功した登山家であり、僕がアドベンチャーレーサーとして駆け出しのときからお世話になってきた方でした。お互い、肩の脱臼をよくするので、そんなことも相談できる間柄で、百名山のときも、二百名山のときも、旅先に応援に来てくださいました。
自然に対して、山に対して、いつも「謙虚な姿勢で臨まなくては」と思っているのですが、友人の死によってそれを改めて感じるというのは、とてつもなく辛いことでした。
埼玉県最初の山は、両神山。日向大谷口から登ることにしました。このルートから登るのは10年ぶりでしょうか。
登山口にある山荘の方に会って話を聞くと、両神山はかつては女人禁制の山で、里宮に泊まって、案内人を伴わなければ登っては行けない山だった、とのこと。女人禁制だったことも、里宮の存在も初めて知ることができました。
両神山には、今回で4回目の登頂となりましたが、これまでで一番の眺望でした。
秩父神社の「お元気三猿」の彫刻。
小鹿野町から秩父に入ったところの小高い丘の上にある音楽寺に立ち寄ったところ、偶然にも60年ほど前の武甲山の写真が飾ってあるのを見つけました。そこに写っていた武甲山はどっしりとした山容でした。
石灰石の採掘のため、かつて1336mあった標高が、今は1304mに。山体の右に見える大持山・小持山の山々は、かつては武甲山の山体によって見えなかったと知りました。それほど大きく立派な山容だったそうです。
高度成長期には全国有数の石灰石の産地で、現在も採掘が続いている武甲山。山が削られるのを悲しむ一方で、道路やビルや橋など、その恩恵を別の形で受けているのも自分、と複雑な気持ちになりました。
翌日、三百名山では唯一、人為的に標高が変わってしまった山、武甲山に登り、尾根を伝って、武甲山から奥多摩まで縦走し、埼玉県から東京都へと入りました。
次は、御岳山から大岳山に登り、御前山、三頭山の奥多摩三山を縦走しました。
ここを歩くのは、「ハセツネ」こと「日本山岳耐久レース」に参加した時以来でした。当時、チーム・イーストウインドに入る最低条件が「ハセツネを完走すること」でした。
10年以上前のこと。「ハセツネ」のレース途中で膝を痛めてしまったのですが、「これを完走しないとイーストウインドに入れない」と思い、傷みをこらえて必死で歩いていた記憶があります(その後、3年くらい膝の傷みを引っ張ってしまったのでした)。
その後、撮影などで御岳山あたりには出かけたことがありましたが、奥多摩三山を縦走したのはそのレース以来でした。
三頭山からは、山梨県の小菅村へ下山。今回「東京都」は、わずか2日で通過しました。
富士山が見えず2度登った金時山。新たな魅力を知った天城山
山梨県では富士山の東側を南下し、静岡県へ入りました。
御殿場市から、133座目となる金時山へ。前日の雨から一転して、この日は暖かく、のんびりした山行になりました。山頂では2時間半粘ったものの、富士山だけに雲がかかり、有名な「金時山からの富士山」を見ることができませんでした。
翌朝、もう一度と思い、早朝から金時山へ登ってみたんですが…。今度は金時山が曇りがちに。またしても富士山を見ることができませんでした。
大阪の金剛山と同じく、金時山も、毎日登山で、何百回、何千回と登っている人がいます。今回、3000回登っている女性や、5000回以上登っている方に会って、話をすることができました。
箱根の外輪山である金時山から下山し、そのまま箱根山へ。箱根山は、火山活動のため、登山道は閉鎖されていました。車道を歩き、到達できる最高点として大涌谷まで行きました。
夏には富士山に登りに来る予定なので、その時、箱根山が規制解除されていたら登ろうと思っています。
箱根を越えて、熱海下り、次は、百名山の天城山に登るため、伊豆半島へ進みました。
135座目の天城山は、百名山のとき以来、4年半ぶりとなりました。
実は、百名山のときは、全体を通して最短距離、最短日数で登っていたのと、富士山までの疲労がピークとなっていたため、気持ちにまったく余裕がなく、最高点の万三郎岳に登っただけで終わってしまったのでした。どんな山だったのかの記憶もあまり残っていませんでした。
今回は、東側から。まず、前回登れなかった万二郎岳に登り、主峰の万三郎岳へ。さらに旧天城トンネルまで約17kmの縦走ができました。前回気づかなかった天城山の良さを知ることができました。
天城山で伊豆半島を折り返し、沼津へ向かう途中に、「沼津アルプス」があります。
以前、沼津での講演会のときに、地元の方に教えてもらって、沼津アルプスの存在を知りました。いつか歩いてみたいと思っていた「アルプス」なんですが・・・。
南東側の日守山(大嵐山)に登ったものの、その先は「私有地のため、入山ご遠慮ください」とのこと。
大平山から続く沼津アルプスの縦走は諦め、迂回しながら、横山と香貫山に登り、沼津アルプスを少しだけ味わって、沼津市へ入りました。
北陸へ戻るまでの関東周辺をめぐる三百名山の最後は、沼津市からの愛鷹山です。
愛鷹山(愛鷹山地)にはいくつものピークがあり、二百名山のときは、最高峰の越前岳にのみ登って先を急いだのでした。今回は、時間をかけて、登れるピークにはできるだけ登ることにしました。
麓から見える愛鷹山は、越前岳より標高が低いのですが、沼津の街から見上げることができる信仰の対象の山です。なので、まず正面から愛鷹山に登り、そこから、袴腰岳、位牌岳に縦走しました。
位牌山からは崩落箇所を迂回するため、南岳経由で一度、谷まで下山してから、峠へ登り返しました。その後、標高が最も高い越前岳へと登り、愛鷹山のピークを登りきりました。
これで、関東北部+福島県・大滝根山+静岡県・天城山、愛鷹山という、1月、2月に計画した山は、ほぼ予定通り登れました。全体的に雪が少なく、暖冬気味な今年の気候に助けられたところもあったと思います。
そんなに歩いたつもりはなかったのですが、計算してみると、1月、2月で約1600km歩いたことになります。
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この愛鷹山の後、田中陽希さんは、半年前に残してきた北陸のヤブの山3座(猿ヶ馬場山、野伏ヶ岳、笈ヶ岳)に向けて、400km以上のロードの旅へと向かいました。
取材日:2019年4月5日
写真提供:グレートトラバース事務局
関連リンク
人力10,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
http://www.greattraverse.com/
今回のレポートで登った山のまとめ
浅間隠山 [2月8日]
両神山 [2月12日]
武甲山 [2月15日]
大岳山 [2月17日]
三頭山 [2月17日]
金時山 [2月20日]
箱根山(大涌谷まで) [2月21日]
天城山 [2月24日]
愛鷹山 [2月27日]
プロフィール
田中 陽希
1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。
田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー
2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!