1989年末から1990年初に起きた、清水岳遭難事故(全員生還)から学ぶ『過去と未来を繋ぐ貴重な教訓』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

暖冬傾向が続く昨今の冬だが、その言葉に騙されてはいけない。例えば、暖冬の年だった1989年末~1990年始に、北アルプス・清水岳付近で起きた山岳遭難では、予想以上の吹雪が長期に渡って続いたことから起きている。爆弾低気圧が発生したメカニズムを知り、過去と未来を繋ぐ貴重な教訓を確認する。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。新年あけましておめでとうございます。今シーズンは久し振りに長期予報通りの冬らしい寒さや大雪になっていますのでお気を付けください。少しでも遭難事故をなくすため、昨年に引き続きTwitterFacebookなどで、長期予報や週間予報を活用した日本一早い山岳防災情報を発信していきたいと思います。本年もどうかよろしくお願い致します。

今回のコラム記事は1989年末から1990年初の京都府立大学山岳部(以下、京府大山岳部)の清水岳遭難事故について取り上げたいと思います。第14回目のコラム記事(第17回目まで続編あり)では2009年4月26日の二つ玉低気圧による京府大山岳部の鳴沢岳遭難事故について解説しています。

★関連記事:二つ玉低気圧のリスク――、2009年4月の鳴沢岳遭難事故の教訓 Vol.1Vol.2Vol.3Vol.4

この事例は本州付近を通過した二つ玉低気圧が爆弾低気圧になったことによる典型的な遭難事故で、ヤマケイ新書「山岳気象遭難の真実」の第1章でも紹介しています。書籍をご覧になった京府大山岳部のOBの方から、1989年12月にも爆弾低気圧による遭難事故があったので参考にしてほしいとの貴重な情報をいただきましたので、JRA-55(気象庁55年長期再解析データ)などによって解析した結果について解説いたします。

このシーズン(1989~1990年)はいわゆる暖冬でした。それなのに吹雪で脱出不能になったという遭難事故は、同様に暖冬シーズンに起きた大長山遭難事故(連載第30回目)とともに、“気候変動で変わりゆく将来においても、積雪期の山岳では暴風雪や大雪などの悪天が決してなくなるわけではない”という『未来への警鐘』であるように思われます。

図1.全員救出を伝える当時の報道 (出典:1990年1月8日 読売新聞)

 

1989年末から1990年初の清水岳遭難事故の概要

この遭難事故の詳細は京都府立大学山岳会ホームページの登山・登攀の記録/遭難事故で公開されているので、興味がある方は是非ご覧ください(注:京都府立大学山岳会は、同大学山岳部のOBを母体とした団体)。当時の気象条件の厳しさ、そして判断の難しさが手に取るように伝わってきます。以下に遭難事故の概要をまとめてみました。

京府大山岳部の7人パーティーは1989年12月23日に宇奈月から入山し、当時は未踏ルートであった厳冬期の名剣尾根から清水岳(しょうずだけ/2603m)に登頂し、白馬岳(2932m)を越えて1990年1月2日頃に栂池に下山する予定であった。

雪が少なく好天が続き12月26日にデポ地である不帰岳(2054m)まで順調に進んだが、27日の昼過ぎから天候が一変して吹雪が激しくなってホワイトアウトとなり、2310m付近で露営。28日には清水岳まで進んだが、どんどん天候が悪化しているため29日の沈殿(同じ場所で停滞)を決定。

元旦は日の出が期待できるとの天気予報に喜ぶが、29日はメンバーの一人が発熱。30日には平熱に戻ったが大事を取って沈殿、夜には一段と天候が悪化する。31日はテントの除雪のためほとんど眠れない状況の中で、16時の天気図によって、この後も2~3日は吹雪が続くと予想されるため、救助を要請。

その後も悪天が続き救助は難航。尽きかけた食糧を食い延ばすギリギリの状況の中、ようやく天候が回復して全員が救助されたのは8日であった。同日には、京府大山岳部の7名の他、剱岳では京都左京勤労者山岳会の2名、群馬ミヤマ山岳会の4名、法政大学山岳部山想会の2名の合計4パーティーの15名がヘリコプターで救助された(図1参照)。

 

やはり二つ玉低気圧が悪天の発端だった

この遭難事故の気象状況のポイントは、以下の2点に尽きると思います。

 ①それまでは好天が続いたのに12月27日の昼過ぎから天候が一変した

 ②その後も悪天が長く続いた

まず27日の天候の急変について、JRA-55のデータを使用して天候が急変する直前の27日9時の地上天気図を再現してみました(図2)。ご覧いただくと分かるように、ロシアの沿海州と関東の東に低気圧があって、これがまさに二つ玉低気圧です。

図2.1989年12月27日9時の地上天気図:等圧線・風・降水量(JRA-55データを使用して大矢作成)


九州から近畿地方までは等圧線の間隔が狭くなっていています。二つ玉低気圧が東に進むとともに清水岳付近も等圧線の間隔が狭くなって、程なくして悪天になるであろうことが読み取れます。京府大山岳部は随時、天気図を書いて進退を判断していたようですので、ここまでは想定内だったであろうと思いますが、その後も悪天が長く続いたことが遭難事故の一番の原因と思われます。

 

なぜ悪天がこれほど長く続いたのか

ではなぜその後の悪天が長く続いたのでしょうか。その答えは上空の気圧配置にあります。図3に天候急変前(左)と急変後(右)の北半球500hPa天気図を示します。出典は気象庁ですが、これもJRA-55を使って気象庁が解析した図です。

実線は等高度線(地上天気図の等圧線に相当)、色分けは500hPaの高度偏差です。難しい理屈は抜きにして、平年より500hPa高度が高ければ気温は高く、低ければ気温は低いことを意味しています。

天候急変前(図3左)は北日本から東日本まで500hPa高度が高く気温が高かったのに、天候急変後(図3右)は日本付近の高度が低くなり気温が低くなっていることが読み取れます。そして、日本の北では500hPa高度が高い状態が維持されています。

日本付近の500hPa高度が低く、日本の北で高い状態を『正のWPパターン』と呼んでいます。WPはWestern Pacific(西太平洋)の略で、『西回り寒波』が起きやすく、豪雪をもたらすJPCZ(日本海寒気団収束帯)が発生しやすい状況になります。

図3.北半球500hPa天気図(出典:気象庁)/右:1989年12月22日~26日 左:1989年12月27日~31日


清水岳遭難事故において6時間ごとにJRA-55データによる地上天気図を解析すると、27日午後以降は断続的にJPCZが発生していたことを確認することができました。1990年の年明け5日間もこの状況が続いています。解析例として大雪が続いて一晩中テントの雪かきに追われた時の12月31日3時の地上天気図を図4に示します。日本海にJPCZができていて、北陸や東北の日本海側に大量の雪雲が流れ込んでいることが分かります。

最近では、「クリスマス寒波」「年越し寒波」で大雪をもたらしたのもJPCZが犯人です。今でこそ週間予報資料の地上天気図を見ることによって悪天が長く続くことを予想できますが、当時の気象情報では予想は極めて困難だったと思います。

図4.1989年12月31日3時の地上天気図:等圧線・風・降水量(JRA-55データを使用して大矢作成)

 

『暖冬』という言葉に騙されてはいけない

1989年12月から1990年2月の冬は暖冬だったと言われています。実際に図5の気象庁のデータを見ても1989年から1991年の3年間にわたって暖冬が続いたようです。

図5.日本の冬の平均気温偏差(出典:気象庁)


しかし暖冬とはいえずっと暖かいわけではなく、3か月の中で必ず気温のアップダウンはあります。図6に1989年12月~1990年2月の地域別の気温偏差の推移を示します。これを見ると、2月に気温が高かったことが3か月の平均気温を押し上げたことが明らかです。清水岳遭難事故の期間は西へ行くほど気温が低くなっており、前述の『西回り寒波』が起きていたことが分かります。

図6.1989年12月~1990年2月の地域別の気温偏差の推移(出典:気象庁)


1989年は11月にも気温がかなり高く、雪不足でスキー場のオープンが遅れたという記録(PDF)が残っています。これが、清水岳でも26日までは雪が少なかった理由のようです。『暖冬』という言葉に騙されてはいけません。冬の期間の3か月の中では必ず寒暖の波があります。そして、『暖冬』だからといって山が荒れない保証はありません。むしろ爆弾低気圧は冬よりも春の方が多いのです。清水岳遭難事故はまさに『過去と未来を繋ぐ貴重な教訓』ではないかと感じます。

 

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

編集部おすすめ記事