多摩川支流の秋川を南北に分ける甲州古道・浅間尾根と浅間嶺で、奥多摩の春の訪れをいち早く感じる

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多摩川の支流、北秋川と南秋川に挟まれた緩やかな尾根が浅間尾根だ。かつてこの尾根は、人々の生活道として歩かれてきた道だという。街ではすっかり春が深まってきた4月上旬の頃にこの尾根道を訪れれば、奥多摩の春の訪れをいち早く感じることができるだろう。

 

浅間嶺から眺める富士山(写真/クニョム さんの登山記録


島嶼を除いて東京都唯一の「村」である檜原村。村役場のある本宿(もとしゅく)では、多摩川最大の支流である秋川は北秋川、南秋川の2つの流れに分かれる。その流れを分ける大きな尾根が浅間尾根だ。

檜原村の中心地である本宿と北秋川、南秋川沿いに点在するたくさんの集落には、現在こそ、それぞれの川沿いに立派な2車線の車道が通っている。しかし土木技術が発達する以前は、絶えず変化する峡谷に沿った道より安定した交通路として、浅間尾根の上に基幹道路ともいえる道が通じていた。

奥多摩、奥秩父を愛した大正時代の登山家・田部重治氏は、戦時中は南秋川最奥の集落である数馬(かずま)に疎開した時期を持つが、その数馬への愛着を書いた名文「数馬の一夜」の中で浅間尾根から通ったことを綴っている。本宿から数馬へ、そして笹尾根を越えて鶴川上流から甲州(山梨)へと辿る甲州古道の一部として、浅間尾根は人や馬、薪炭や生活物資の運ばれる道であった。

とくに冬枯れの時期は、尾根道は明るい展望が開ける(写真/山田哲哉)


かつては浅間尾根そのものを登山する者は少なく、50年ほど前の「奥多摩」のガイドブックを読むと、本宿から奥多摩主脈の風張峠を経て三頭山へと至る長閑なロングルートとして紹介されることが多かった。浅間尾根は奥多摩主脈の風張峠南西の戸沢ノ峰(1249m)から御林山、数馬峠、一本松、人里峠、浅間嶺、時坂峠と続き、払沢の滝入口で本宿へと続いているが、1970年代に戸沢ノ峰付近に奥多摩周遊道路ができて自動車が疾走するようになり、奥多摩主脈や三頭山と繋げて歩く者は極めて少ない。現在では数馬付近から払沢の滝入口へと歩くのが一般的だ。

数馬付近から標高差300m程度を登っていったん尾根上に立てば、その後は時坂峠までは大きな上り下りも無い。最も標高の高い個所は一本松の930mで、生活道路として歩かれていた、かつての状況に相応しい秋川上流の山独特の穏やかな道が続いている。

かつては生活道として使われていた道は穏やかで歩きやすい(写真/山が好き! さん


道中は雑木林と杉や檜の人工林が交互に現れ、浅間嶺付近には広大なカヤト(茅で覆われている場所)もある。所々で北秋川を挟んで、大きく三頭山、御前山、大岳山に手が届きそうな近さで見ることができる展望も魅力的だ。かつて交通路として歩かれていたために、所々に馬頭観音と呼ばれる石仏が置かれ、点々と炭焼窯が残っている。百年前の檜原村の生活を感じることができる里山の春を知ることができる道である。

なお、数馬下の浅間尾根登山口から浅間尾根を目指して歩くなら、4月上旬頃が良いだろう。ダンコウバイなどがルート上の随所で咲きだし、北側斜面を中心に数か所でカタクリの群落が見られる。奥多摩の春の訪れをいち早く感じることができる楽しいルートだ。

浅間尾根登山口から払沢ノ滝へ縦走

行程:
浅間尾根登山口・・・数馬分岐・・・人里峠・・・小岩浅間・・・浅間広場・・・浅間嶺・・・時坂峠・・・払沢ノ滝入口(約5時間30分)

⇒コースタイム付き地図

 

馬頭観音を巡りながら歩くかつての生活路

歩き出しは浅間尾根登山口のバス停からだ。南秋川の流れを渡り、4月でも梅の花の残る家々の間を歩いていくと、やがて数馬峠へと続く車道(北秋川の小岩へと続く)から登山道に入る。

杉林を抜けて祠などもある雑木林の道を登っていくいと程なく数馬分岐となり、浅間尾根上に登り着く。最初の馬頭観音を過ぎてから200mほどで、可愛い笑顔の二番目の馬頭観音と出会う。さらに進んでいくと、尾根を北側に乗り越すあたりから、新緑前なら雑木林の上に大岳山と御前山の美しい姿が見えてくるだろう。

北側の斜面が開けると御前山などが眼前に広がる(写真/クニョム さんの登山記録


雑木林と人工林が交互に現れる緩やかな上下が続くと、やがて今コースの中では最高点となる一本松となる。一本松はピークを巻いていく道が主に歩かれているが、尾根上にも踏み跡があり、登れば三角点がある。三角点からは僅かで登山道に戻るが、ここにも馬頭観音が鎮座している。

可愛い笑顔の馬頭観音が迎えてくれる(写真/山田哲哉)


ここから長い下りが続く。降り切った所にあるのは「古い石宮」と呼ばれる祠がだ。ここから人里(へんぼり)峠へと向かう道の北側斜面を巻いていく所にはカタクリの大きな群落があるので、この時期は大いに楽しめるだろう。

4月上旬~中旬、途中にカタクリの群落が広がる(写真/山田哲哉)


南秋川から登る道と交わる人里峠あたりでは尾根の北側を水平に巻いていくが、やがて尾根の背を歩く道が分岐する。手彫りの標識のとおり、尾根の上を歩けば「小岩浅間」、浅間嶺の最高点だ。ここでは杉の植林が伸びて展望がないのが残念だが、大きな屋根つきの休憩小屋やトイレのある広場へと降りて、再び明るいカヤトと雑木林を登り浅間嶺展望台に行けば、一挙に展望が開ける。

穏やかな道を進めば、やがて大展望が広がる(写真/山が好き! さん


南には奥多摩主脈が、その背後の石尾根から雲取山や飛龍山、そして南には丹沢が大きく横たわる。南西を見ると権現山の後ろに真っ白な頭を出した富士山が姿を見せる。ちなみに、この展望台の南側のカヤトの斜面は1950年代には、「浅間台スキー場」という名で2月頃の積雪のある時期にはスキーを楽しむ者がいたという。

ここからは美しい雑木林とカヤトの中を緩やかに降り、明るい雑木林の中をたどっていく。数年前まで「カタクリ散策路」と呼ばれる散策路が作られるほどカタクリの大きな群落があったが、北側斜面が大規模に伐採されると、見晴らしはよくなったがカタクリは大きく数を減らしてしまった。

尾根から離れ、瀬戸沢の源流部に入っていく。この沢沿いには昔、石畳の道を整備した跡があり「浅間尾根の石畳」と呼ばれる。やがて目の前に、かつて瀬戸沢の一軒家と呼ばれ、現在は土日に蕎麦屋として営業する古い家がある。この先で沢を渡り、いったん舗装路に出る。時坂峠で再び登山道となり、時坂の集落の家の軒先をくぐるような道を降っていくと払沢の滝入口へと降り着く。

蕎麦屋として営業する古い民家の前を通る(写真/O.Y. さん


浅間尾根は晩秋から春が最も多くの登山者が訪れる。歩行5時間弱程度で危険個所も急峻な上り下りもない。古道と呼ぶのにふさわしい昔の生活路として、上手に平坦な巻き道を付け、人や馬が歩きやすいように工夫して歩かれてきた跡を、あちこちで感じることができる。奥多摩の春をいち早く感じる穏やかな道として、4月上旬に訪れたい場所だ。

ところで、この浅間尾根を歩くと気付くのは、各所で北秋川、南秋川の各集落から尾根上に上がる道はあるものの、峠を越えて南北秋川を結ぶルートは存在しないことだ。これは、北秋川は平家の流れをくみ、南秋川は甲斐源氏の末裔だったからだという。南北が合併して檜原村が誕生する以前は、交流が無かったことによる。そんな歴史を感じながら歩くのも興味深い。

 

プロフィール

山田 哲哉

1954年東京都生まれ。小学5年より、奥多摩、大菩薩、奥秩父を中心に、登山を続け、専業の山岳ガイドとして活動。現在は山岳ガイド「風の谷」主宰。海外登山の経験も豊富。 著書に『奥多摩、山、谷、峠そして人』『縦走登山』(山と溪谷社)、『山は真剣勝負』(東京新聞出版局)など多数。
 ⇒山岳ガイド「風の谷」
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