長時間山行が連続した新潟県中越地方の山々から、2019年最大のポイント、佐渡島シーカヤック往復へ! 田中陽希さん旅先インタビュー第21弾

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10月上旬、リバーガイドとしての拠点、みなかみ町を後にした田中陽希さんは谷川岳馬蹄形縦走へ。鳥甲山から苗場山の1日2座や、「越後四天王」の連続登山を経て、2019年最大のポイントとしていた佐渡島へ! 初めて渡った佐渡島の景色とは!? 10月上旬から11月上旬までの人力旅を紹介!

POINT
  • 紅葉が深まる上信越の山々を連続登山
  • 1日の行程がコースタイムでは24時間以上!? 先を急ぐその理由は…
  • 40kmの海峡横断。シーカヤックで本州と佐渡島を往復

 

紅葉が深まる谷川連峰。馬蹄形縦走路を進む!

第2の故郷みなかみ町を出発。土合駅は「日本一のモグラ駅」だ


次の山は三百名山の朝日岳。朝日岳はカッパCLUBの社長だった小橋さんが一番好きな山と言っていた山で、7年ほど前に仲間と登ったことがありました。紅葉のシーズンに登るのは初めてでした。

谷川連峰馬蹄形縦走路を朝日岳へ


谷川連峰や白毛門は岩稜の山ですが、対照的にどっしりと優しい姿が印象的で、頂上付近には池塘があって、頂上を越えた先から見返した時に、そのどっしりした山容を確認できました。

どっしりとした優しい印象の朝日岳


馬蹄形縦走路から一度外れて、巻機山に向かいました。何度も登っている巻機山ですが、天気良く、紅葉のベストタイミングで、これまでで一番のコンディションでした。大型の台風19号が迫っているタイミングで、「嵐の前の静けさ」という感じで、平日でしたが登山者多く、ほかの登山者の方も「本当に良い日に登った」と言っていました。

ニセ巻機山から先が、黄葉の最盛期でした。さらに牛ヶ岳、割引岳(われめきだけ)にも初めて足を伸ばしてみたのですが、それぞれ展望が違って、それぞれ良かったです。大興奮大満足の山行になりました。

巻機山は「これまでで一番のコンディション」の中、登ることができた

 

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各地に大きな被害をもたらした台風19号だったが、10月11日から15日にかけて、田中陽希さんは魚沼市内の山麓で退避。幸い周囲に大きな被害はなかったそうだ。

公式サイトの日記には、被災された方へのお見舞いの言葉とともに、「豊かになり便利になっていく現代、自然に対する考え方が、僕たち人間の都合よい解釈になっているのではと思っている」と記した。

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台風が落ち着くのを待って、10月16日からは、馬蹄形縦走路に戻り、清水峠-七ツ小屋山-武能岳-茂倉岳へと歩きました。

気持ちの良い稜線が続く谷川連峰馬蹄形縦走路。一部は「スノーカントリートレイル」とも重なる


茂倉岳では2時間天候を待って、雲海から突き出る谷川岳を見ました。水上側から見ることが多い谷川岳ですが、北側から見る谷川岳もかっこよかったですね。一ノ倉岳-谷川岳へと進み、この日は5年ぶりに谷川岳肩の小屋に泊まりました。

雲海から顔を出した谷川岳


翌日は、肩の小屋から谷川連峰の西の稜線へ進みました。初めて谷川岳に登った時、万太郎山の手前で引き返したことがありました。当時の自分にとっては険しさを感じる山でした。今でも万太郎山の前後は馬蹄形コースより険しいと感じるところがあります。


万太郎山から、二百名山の仙ノ倉山へと進みました。山頂では、チームイーストウインドを応援してくれているみなかみ町・丸須製菓さんの「仙ノ倉万太郎」まんじゅうを食べました。そして、自分の生まれ年と同じ、標高1983mの平標山へと縦走して下山しました。

万太郎山・仙ノ倉山では、同名のまんじゅうを食べる。生年と同じ標高の平標山


翌日は、次の山に向けて、苗場山の山間にある赤湯温泉山口館へ向かいました。台風19号の爪痕が、登山道にも温泉にも見られました。河原の露天風呂も土砂で埋まったそうで、かき出して復旧したばかり、とも聞きました。

百名山の旅では必ず立ち寄っている赤湯温泉山口館へ


山口館は、携帯電話の電波が届かない、今となっては貴重な宿です。本を読むために持参してきて、読み終わったら帰る、という人もいるほど。釜炊きのご飯が美味しくて、百名山の時には5杯、2百名山の時に大盛り4杯いただき、今回も4杯いただきました。この百名山の旅では毎回、楽しみにしている宿のひとつなのです。

悪天候のため山口館で2泊。3代目のご主人から将棋指南を受ける


次の佐武流山(さぶりゅうやま)には10月20日に登りました。前回、二百名山で登った時には、ヤブが深く、時間がかかった、という記憶があり、覚悟して入山したのですが…。

深いヤブ漕ぎを覚悟していたが、きれいに刈り払いがされていた


赤倉山・ナラズ山から先の、足元も見えないほどだった深いヤブは、刈払されたばかりのようで、スムーズに登ることができました。4年前と似たような霧に覆われた山頂でしたが、紅葉がとてもきれいでした。前回と同じように、切明温泉へ下山しました。

 

計画変更で1日2座、長時間山行が連続! 急ぐ理由は・・・

翌日は、二百名山の鳥甲山へ登り、この日は、苗場山に登り返して、山頂の山小屋に泊まる計画でした。

カッパCLUBの小橋社長と秋山郷に初めて来た時、鳥甲山を見あげたことが思い出されました。険しいルートの鳥甲山に登ると、山頂からは5月に登った岩菅山や志賀高原がすぐそこに見えました。

紅葉の美しい鳥甲山。険しい岩の上を進む


山頂で天気を確認すると、翌日以降の天候が想定より悪くなることが予想され、予定を変更。苗場山での宿泊を取りやめ、山腹の和田小屋も小屋閉め後だったため、一気に湯沢まで進むことに決めました。

鳥甲山から急いで下山し、1300m以上を登り返して、苗場山へ。山頂湿原の景色をゆっくり味わうのは諦めて、苗場山から祓川コースへ進み、4時40分に下山。さらに湯沢町の宿まで進みました。


1300mを登り返して1日2座目の苗場山へ。表情が険しい


なぜそんなに急いでいたかというと――。

この先の、荒沢岳の登山道のハシゴが、26日午前で撤去されることになっていて、25日までに何とか荒沢岳を登り終わらなくては、というのが頭にあったからなのです。

この日は、11時間半の行動になって、ログによると、水平距離52km、登り3468m下り3700mでした。以前、このあたりの山に、この季節に登った経験があったことも幸いし、なんとか行けると判断したのでした。

次の八海山は修験の山です。普寛行者が開いたという最も険しい「屏風道」に初めて挑戦しました。登り一方通行の険しい道で、五合目からはヘルメットを着用し、九合目までは「これでもか」という鎖場の連続でした。

八海山屏風道は、これでもかという鎖の連続


そこから、八ツ峰も鎖の連続で、慎重に進みました。最高峰・入道岳に立ったときの達成感は、4年前の3倍以上でした。

当初計画では、八海山の千本檜小屋、中ノ岳の避難小屋に泊まって縦走する予定でしたが、小屋閉めしてしまったため、中ノ岳への縦走はやめて、この日はいったん下山しました。

翌10月24日は、3時起きで暗いうちからスタートしました。この日の行程は、通常なら2泊3日、僕にとっても1泊2日は必要な、コースタイムで24時間以上のルートを、一日で歩きとおすという、未知の体験になります。

まだ暗い中を歩きだす。この日の行程は、コースタイムでは24時間以上!?


荒沢岳の鎖やハシゴが26日午前に撤去されてしまう前に、登り終えなくてはならないのです。11km歩いて登山口へと進み、八合目からの急登を登って、4年ぶりに中ノ岳に登頂しました。この日は曇りでしたが、太陽が差し込んで、赤一色の荒沢岳を一瞬だけ見ることができました。

兎岳から荒沢岳への、4年前に復活したばかりの歩きやすい縦走路を経て、231座目となる荒沢岳に立ちました。山頂ではガスで、1時間ほど、天気の回復を待つことにしました。尾根は岩稜で、谷には万年雪を残す荒沢岳は、深田久弥さんも機会がなく、登れなかった山だと聞きました。山肌が「紅葉の海」のようで美しかったです。

銀山平へ下山しましたが、もし下山路の鎖やハシゴが取り外されてしまったら、下れなかったと思います。

このハシゴが無かったら下れなかった。ハシゴの撤去に間に合って、「セーフ」


結果として、この日は、29.8㎞、登り3900m、下り3375mという行程を、13時間で歩くことができました。

「山と高原地図」の越後三山のコースタイムは、やさしめに設定されているので、コースタイムを縮めやすいという経験値があったことに加え、3日前の「鳥甲山・苗場山」の一日での縦走を体験したことで、コースタイムは半分にできる体力的な自信があったことなどが重なって、長時間行動がうまくいったと思います。

荒沢岳のあと、台風と雨で銀山平に3日停滞しました。ここまで数日間がハードだったので、よい休養になりました。10月28日には、銀山平から、道行山経由で越後駒ヶ岳へ向かいました。

小屋の前でこの冬初めて氷を見つける。偶然、山の形とピッタリだった


紅葉のよい季節で、平日にもかかわらず登山者が多かったです。道行山-小倉山-百草の池-駒の小屋へと進みました。山頂からは荒沢岳、中ノ岳、八海山が見えましたた。そして、これから向かう、佐渡島もうっすら見えました。

このあたりは「越後三山」「魚沼三山」と言われますが、自分の中では、荒沢岳を加えて「越後四天王だ」と考えています。ここまでの四天王は、荒沢岳のハシゴの撤去が気になりつつも、よいタイミングを待つことができました。秋雨の季節が終わって晴れやすくなり、三百名山の旅で大切にしている「一座一座をていねいに登る」こと思い出すことができたし、越後駒でしっかり締めくくることができました。

焦りがないわけではない。下山するころから気持ちは佐渡島へ

 

2019年最大の難関、日本海の海峡横断で佐渡島へ!

3日かけて、日本海に向かっていく中で、高校時代のスキーの師・小出高校の先生に会うために、先生が現在運営している「ものずき村」に立ち寄りました。美味しいきのこそばを食べ、再会を楽しみました。

また、ツーリングマップを見ていたら、「日本一長い手掘りのトンネル・中山隧道」というのがあることに気づき、遠回りだが立ち寄ることにしました。

焦りはありながらも、恩師を訪ね、興味のある場所に寄りながら。旅の基本を忘れずに進む


錦鯉の養殖が盛んな小千谷市では、億の値段がつく超高級のコイもいると聞きました。海外からも人気だそうで、田んぼが養殖場に変わり、コイで儲かったのか、「コイ御殿」がいっぱい見られました。

鯉の町・小千谷。稚魚に5000円もの値がついていて驚く。日本一長い信濃川を渡る


長岡市では、日本一長い信濃川を渡り、去年できたばかりというトキ飼育施設を見学しました。トキは害鳥として駆除されたそうで、絶滅の危機に瀕して、保護するようになった、とのことでした。

また、トキは白いと思っていましたが、身体が白いのは、秋から冬にかけてだけだそうです。羽根を広げるときれいなトキ色でした。

7ヶ月ぶりに日本海へ


11月1日、チームイーストウインドの車で、シーカヤックが到着しました。この日は、寺泊まで走り、時化のないところでシーカヤックの練習をしました。

イーストウインド号でシーカヤックが到着。姿は見えなかったが、「行くぞ! 佐渡島」


佐渡島へのシーカヤック横断については、大きな不安点が3つありました。僕にとって日本海での海峡横断は初めてであること。40kmの海峡横断は、屋久島から鹿児島(2日に分けて45km)に匹敵する長距離で、それを1日渡るということ。佐渡島へは短期間で行って帰ってこなくてはならないこと、です。

シーカヤックは、2018年5月の香川-岡山間の横断以来、1年半ぶりでしたし、右手指を骨折した後、長時間のパドリングは初めてです。香川ー岡山は10kmほどで内海、今回は外洋で、距離が長い。加えて、当初の計画よりも冬に近づいていて、風・波も心配で、「風が少ない状態がいつやってくるか」というのも不安を大きくしていました。

翌11月2日、この日は、波は1m、風は3~4mの好条件でしたので、佐渡島へ渡ることにしました。緊張を感じながらも、7時に出発。久しぶりのシーカヤックだったので、最初の30分はソワソワしていました。

好条件は翌日にやってきた。佐渡島へ漕ぎ出す


予想より早く、2時間半で半分まで来ましたが、疲労のピークが来てペースが落ちました。エネルギー補給して漕ぎ進むものの、5時間を越えてからは全身の筋肉疲労で再びペースダウンしました。

最後はヘロヘロで、7、8時間かかるかもと覚悟したのですが、なんとか6時間半で漕ぎ切りました。

不安や疲労を乗り越えて、ついに佐渡島へ到着! 子ネコの歓迎を受ける


佐渡島は、沖縄本島に次ぐ、周囲260kmの日本で2番目に大きい島です。僕にとってすべてが初めてで新鮮です。当初は1週間の滞在を予定していましたが、海のタイミングを逸すると帰れなくなるので、帰りのシーカヤックを考えて、急ぎ足で進みました。

標高500m付近までは紅葉の雰囲気が残っていました。特に国中平野は気持ちが良かったですね。野生のトキが飛ぶ姿を見ることもできました。翌日の縦走に備えて、標高900mのドンデン山荘まで進みました。

南側の小佐渡山地を越えて、国中平野へ


11月4日、ドンデン山荘から南西に縦走する「大佐渡縦走ルート」を進みました。縦走路はとても気持ちよく、11時に標高1172mの金北山に登頂しました。233座目だったので、山頂の神社には233円のお賽銭を入れました。

金北山からの景色は、南には海を挟んで遠く本土まで見えるのに対して、北の海の先は外洋で、水平線まで何も見えなかったのが印象的でした。大佐渡山地が、外洋からの冷たい北風を遮って、佐渡島を守っているような印象を受けました。

大佐渡縦走路を進む。穏やかな山頂では景色と昼ごはんを楽しんだ


縦走後半は、神子岩からの紅葉がきれいでした。黄葉の中を下山して、振り返ると虹が見えました。

今日のこの一座のために、海峡横断ができるのだろうかと不安に思いながら進んできたので、この景色は佐渡島からのプレゼントだと感じました。

紅葉シーズンを迎えた佐渡島を駆け抜けた

佐渡島で、金北山以外に、必ずやってみたいと思っていたのが、「たらい舟」でした。カッパCLUBの社員旅行で佐渡へ行った先輩が、たらい舟を体験し、「漕ぐのが難しい」と言っていたのです。

佐渡島最終日。小木港に立ち寄り、たらい舟に挑戦しました。リバーガイドのプライドにかけて、気合十分で臨みました。ほかのお客さんの様子を見て、イメージをもって乗ってみたのですが…。

リバーガイドのプライドにかけて、と気合十分で臨んだたらい舟だったが…

漕いですぐに自信が崩れました。力の入れ具合、櫂の動かし方などが独特で、全く前に進まないのです!

終了直前でようやく感覚をつかんだのですが、時すでに遅し。再チャレンジはできませんでしたが、一応「たらい舟操縦士海技免状」をいただきました。

この日は、赤泊まで「距離日本一の都道府県道(新潟県道45号佐渡一周線、約167km)」を走り、3日間の充実した佐渡島の旅が終わりました。

日本一の都道府県道を行く。佐渡島の旅を終えて海を見つめる


11月6日、直前まで降っていた雨が、7時に止みました。波が高く、風もあったのですが、北西の風で「追い風・追い波」の好条件です。行程を1時間は短くできると予想できたので、出発することに決めました。4日前に漕いだ疲れが、上半身に残っていましたが、自分の体力や漕ぐ力が判ったので、気持ち的には楽に感じていました。

赤泊を出発し、少し西に出てから寺泊に向けて漕ぎました。スピードは良かったのですが、3時間ほどで西寄りの風に変わり、コントロールに神経を使いました。

我慢しながら、5時間半で到着。イーストウインドのサポートでシーカヤックを回収してもらい、自分は燕市まで15km走りました。

佐渡島往復が無事に終わり、安どの表情


今年一番の難関と考えていた佐渡島の往復が、これで無事に終わりました。冬が近づいている中で、条件に恵まれた5日間だったと思います。

弥彦神社の日本一の大鳥居は高さ30m。新潟市ではTHE NORTH FACE新潟店にも立ち寄った

 

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今年一番のポイントになるとしていた佐渡島の往復が終わり、田中陽希さんの旅は、2度目の冬を迎えた。新潟の山に登るのか、東北の山を先に登るのか、雪の様子と行程を考えながら進むことに。田中陽希さんの人力旅はまだまだ続く!

 

取材日:2019年12月27日
取材協力=グレートトラバース事務局

 

関連リンク

人力10,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
http://www.greattraverse.com/

 

今回のレポートで登った山のまとめ

朝日岳 [10月9日]

巻機山 [10月10日]

谷川岳 [10月16日]

仙ノ倉山 [10月17日]

佐武流山 [10月20日]

鳥甲山 [10月21日]

苗場山 [10月21日]

八海山 [10月23日]

中ノ岳 [10月24日]

荒沢岳 [10月24日]

越後駒ヶ岳 [10月25日]

金北山 [11月3日]

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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