日光連山から尾瀬周辺の山々を縦横無尽に歩き、第2の故郷・みなかみ町へ! 田中陽希さん旅先インタビュー第20弾!

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奥秩父の山々を歩き終えた田中陽希さんは、次なる山を目指して関東平野を横断。栃木・群馬県境の袈裟丸山・皇海山では連日のハードな行程を歩き、日光連山では、「家族」の山々を踏破して、山伝いに尾瀬へ進んだ。尾瀬周辺の山を連続して登り、第2の故郷・みなかみ町へと至る、9月から10月上旬までの旅を追った。

POINT
  • 袈裟丸山は2日かけてすべてのピークへ。男体山はお父さん? 日光ファミリーの山々
  • 尾瀬周辺の名山を縦横無尽に
  • みなかみ町では、久しぶりの交流会。ラフティングのガイドも!

埼玉から群馬へ関東平野を約100km横断! 宿の近くで「日本一しょうゆ」に出会った

2月に登らなかった袈裟丸山。すべてのピークに立つ!

9月上旬、関東地方を横断して、栃木・群馬県鏡の袈裟丸山、皇海山を目指しました。袈裟丸山は、2月に通り、厳冬期では登れないと決断し、登山口まで来てスキップしていた山でした。

登山口の看板の前で。2月にスキップし、9月に再び訪れた


袈裟丸山の姿は、水上でラフティングしているときにも川からよく見えて、尾根を見ながら登ってみたいと思っていた山です。袈裟丸山は、袈裟、袈裟丸山(一等三角点)、袈裟丸山(最高峰)、袈裟、袈裟など、たくさんのピークがありますが、「前」と「後」の間の難所が崩落で通行できません。どこかだけ登ってとも考えましたが、胸に手を当てて考えてみて、後悔しないように、2日に分けてすべて登ることにしました。

栃木県みどり市側では前袈裟丸こそが「袈裟丸山」。山の伝説も前袈裟丸が中心で、山名の由来を知ることもできました。この日は富士山まで見える最高の展望でした。宿の関係で、1日目は、32km走って、山に登り、下山して群馬県側の宿まで走り、トータル42kmの行程になりました。

2日目は、宿から再び山に向かい、後、中、奥へと登りました。この日は一転して終始、霧に包まれ、展望なしでしたが、袈裟丸山のすべてのピークに立つことができました。後半は藪こぎもあり、30km行動で、皇海山の麓の国民宿舎まで進みました。

袈裟丸山2日目の山頂コレクション。最後は笹薮も! 2日で70km以上歩いた


2日のハードな山行を終えて、疲れも抜けていなかったのですが、翌9月14日は、休養返上で皇海山に登ることにしました。宿では、この皇海山で修行し、男体山を開いたという勝道上人の話を聞きました。皇海山のあとは男体山に向かうので、ちょうど自分の行程と重なりました。

修験の道を、庚申山、鋸山へと進みました。岩場、ハシゴは、妙義山やほかの修験の山に通じる険しさで、気が抜けません。庚申山に祀られている猿田彦大神は、道案内の神様です。その導きで登ることができました。

5年前は、群馬県側から林道を詰めて登った皇海山。今回は栃木県側から古来の道で、その険しさをしっかり感じて登ることができましたし、山の深さ、遠さも感じることができました。

皇海山は修験の山。庚申山、鋸山から縦走.。妙義山にも通じる険しさだった


9月15日は移動の一日でした。勝道上人も通ったという古道で、阿世潟峠を越えて中禅寺湖へ進みました。足尾が銅山で賑わい、子どもたちが大勢いたころには、阿世潟峠を越えて中禅寺湖まで遠足に出かけていたそうです。

勝道上人も見た景色だろうか。男体山を臨む


また、銅山の活動によって失われた足尾周辺の植生が、何十年もかかって再生している最中であることも知りました。たしかに5年前に通ったときより、回復して緑が増えていることを感じました。

中禅寺湖畔の中禅寺では、秋の「火渡りの行」が行われていました。火渡り体験が行われていて、初めて挑戦しました。信仰の山、男体山に向けて気持ちを引き締めることができました。

中禅寺湖畔にて。中禅寺では火渡りの行を体験した


翌日は雨。長距離移動と険しい山が連続したので、中禅寺湖畔で完全休養にしました。友人家族が訪ねてきて、一緒に日本両棲類研究所を見学するなど、リフレッシュの一日になりました。

休養日に日本両棲類研究所へ。世界最大のオオサンショウウオに出会う

父ちゃん、母ちゃん、息子たち…!? 日光ファミリーの山々を踏破

日光の山、最初は男体山からでした。二荒山神社の6時の開門と同時に登り始めました。急登を一心不乱に登り、2時間で登頂しました。

日光連山の山は、男体山から。二荒山神社も1月末以来の再訪だ


この日は、女峰山も目指していました。男体山ではとても展望が良かったのですが、女峰山への途中から雲が上がってきてしまいました。

二百名山の女峰山のときも雲が上がってきてしまい、すぐ隣りにある男体山の姿が見えませんでした。またしてもそういう景色になってしまったら残念なので、女峰山への縦走をやめて、いったん下山。天候の回復を待つことにしました。

日光の山々は父・母・3人の子どもたちの「家族」に例えられます。雨の一日を挟んで、9月19日は、父(男体山)以外の「日光ファミリーの山」を登るタフな一日になりました。

母(女峰山)、三男(小真名子山)、次男(大真名子山)、長男(太郎山)の順に登りました。標準コースタイムは18時間でしたので、夜明け前から出発しました。

日光ファミリー山頂コレクション、女峰山、小真名子山、大真名子山


三百名山の太郎山へは初めて登りました。形は父(男体山)に似ています。例えるならば、厳しい父(男体山)の背中を見て育ったから(!?)なのか、登山道も厳しかったです。

日光ファミリーの山のひとつ、三百名山の太郎山には初めて登頂した


次男もまあ厳しかったです。そういえば、母ちゃん(女峰山)も厳しいといえば厳しかったですね(笑)。

アップダウンの激しい35kmの行程を12時間で歩ききり、最後は久々に膝が笑いました。天気に恵まれて、奥日光の大家族からたくさんの歓迎いただけた、と思いました。


次の日光白根山は、5年前、百名山のときには、雨で寒くて、真っ白で展望がありませんでした。

翌9月20日は晴天になりそうだったので、前日の疲れを押して頑張って登ることにしました。日光湯元から登り、前白根を経て日光白根山へのルートでした。

紅葉が始まりかけている中で、砂礫地には咲き始めのコマクサもあり、自然の不思議を感じました。今回は日差しが暖かく、展望に恵まれ、前日までに登った「日光ファミリー」の山々がとてもよく見えました。

百名山のときは真っ白だったという日光白根山。今回は展望に恵まれた


山頂からは金精山方面に下りました。日光の厳しい山々から外れ、途中からなだらかな道に変化していくのを感じながら、日光沢温泉を目指しました。このコースを選んだのは、尾瀬に入るにあたって、前回までとは違うルートで行きたかったのと、紅葉の始まったと思われる鬼怒沼周辺の景色も楽しみだったからです。

この日は、日光白根山、金精山、温泉ヶ岳、根名草山を越えて、日光沢温泉まで、25kmの行程になりました。

山を越えて日光沢温泉まで進んだ


9月21日から23日までは、台風が来るか、というタイミングだったため、日光沢温泉で停滞になりました。

台風予報で停滞。歩くと往復3時間かかる夫婦淵まで走って行き、滝行も


9月24日、初めて歩いた鬼怒沼から尾瀬へのルートは、距離は長いけれど、アップダウンはそれほどなく、とにかく人が少なく、静かで気持ちの良いルートでした。9月も下旬だというのにチングルマの花が一輪だけ残っていました。クマが出るかもと言われていて、クマの痕跡はいくつか見られましたが、大丈夫でした。昼前には尾瀬沼について、沼山峠を越え、七入まで進みました。

日光沢温泉から鬼怒沼を抜けて尾瀬へ。三百名山のピークはない。山越えで28kmの行程となった

会津駒、帝釈山、燧ヶ岳、平ヶ岳・・・。尾瀬を囲む名山を縦横無尽に!

前回、百名山で会津駒ヶ岳に登った後、「中門岳に行ったか」をよく聞かれました。百名山は会津駒なのですが、その先の中門岳までがセットでこの山の魅力というのは、後から知ったのでした。なので、今回は中門岳には必ず行きたいと思っていました。この日の行程は、まず七入からキリンテまで歩き、そこから大津岐峠へ登って稜線を進んでいきました。

会津駒に立った後、初めてその先の中門岳まで進んだ


この日は、予報ほどは晴れず、気温の低い時間が長かったです。会津駒に登ったあと、初めて中門岳まで行きました。山上の草紅葉と池塘の景色はとても印象的でした。写真でよく見る「湿原と木道と池塘と山小屋」という風景も見ることができました。植生は、日光ではシラビソ、コメツガが多かったのですが、檜枝岐に来て、ブナの林が広がっているのを感じました。東北の山に来たな、と実感できました。

中門岳からの帰り道、天候が回復した


9月26日は、檜枝岐村の宿から、二百名山の帝釈山、そしてその先の田代山へ登りました。田代山は、山上が平で、苗場山のように湿原が広がっている山です。

当初の計画では、栃木県側から長い林道を歩いての縦走でしたが、檜枝岐村からの日帰り往復になったので、帝釈山までが短くなりました。この日のテーマを「ピクニック」と決めて、山での時間を楽しむことにしました。

帝釈山を登った後は、田代山へ。山上の湿原を歩く


登山口まで、標高差約1000mの林道を15km進み、登山口から帝釈山までは20分で登りました。いつも山では行動食的なもの、菓子パンみたいなものが多くなってしまいます。今回は、事前に食材を用意して、ホットドッグを作って食べることにしました。田代山の山頂湿原で3時間くらい、ゆっくり過ごして、檜枝岐村へ戻りました。

「ピクニック」のランチ。ホットドッグを作って頬張る


帝釈山のあとは、平ヶ岳に登る予定でしたが、天気予報を見て予定を変更し、燧ヶ岳を先に登ることにしました。5年前、燧ヶ岳から下山してきたとき、途中の熊沢田代の景色が印象的でした。今回、熊沢田代からの燧ヶ岳の景色を、天気の良い日に見たかったのです。

燧ヶ岳は登山口の御池からだと、その姿が見えません。熊沢田代に登って初めて間近に見える山容は、草紅葉、木道、池塘の向こうに堂々としていて素晴らしい景色でした。山頂からの尾瀬沼、尾瀬ヶ原の展望もバッチリでした。

山頂には大勢の登山者がいましたが、みな「いい日に登った」と口にしていたくらいでした。

この日は御池に下山したあと、平ヶ岳の登山口にある清四郎小屋まで15km、舗装路を進みました。

天気に恵まれた燧ヶ岳。山頂から尾瀬沼方面を遠望


平ヶ岳へは鷹ノ巣登山口からの往復です。コースタイムは少なくとも11時間になるので、大抵の登山者はもっと日の長い季節に登ります。この時期は諦める人が多いそうです。百名山のときは、宿の関係からプリンスルートで登り、鷹ノ巣までの下りが長かった思い出がありました。今回は往復ルートに初挑戦でした。

山上にはなだらかな平ヶ岳らしい景色が広がっていた。奇岩・玉子石にも立ち寄った


登り始めから急登が続き、細尾根のアップダウンは険しさを感じました。普通はここでめげてしまうでしょう。長い稜線を歩き、池ノ岳まで進むと別世界で、紅葉の深みも増しました。高曇りの中、不思議な玉子石を見てから山頂へ。再び長い稜線を進み、清四郎小屋へ下山しました。

翌日は清四郎小屋から再び尾瀬へ戻りました。尾瀬に向かう途中、百名山のときに泊まった渋沢温泉小屋が廃業し、解体されてしまっているのを見ました。

三条の滝には、立ち寄るか迷って、分岐でコイントスして決めたという


草刈りなどもあまりされていないため、道迷いしやすくなっているようで、遭難も相次いでいると聞き、山を守っていくのは難しいことだと改めて感じました。

尾瀬・見晴の弥四郎小屋にて。ソファでコーヒーを飲む姿がSNSで話題に


尾瀬ヶ原の北にある景鶴山は、尾瀬・ヨッピ吊橋から遠望しました。そもそも景鶴山をカウントするのかというのも考えましたが、桜島、草津白根山、箱根山なども、入山が禁止のため、同じように近くまで行って、眺めて、カウントすることはありました。

景鶴山はもっとも近いところから見て、「登頂」とした


景鶴山については、国立公園の特別保護地区であり、登山道がなく、登山の自粛を呼びかけていることから、三百名山の旅を始める前から「登らない」と決めていました。自分の中では、火山による規制も、自然保護による規制も同じだと思っているので、これでよいと思っています。

ひとつ景鶴山について思ったことは、尾瀬ヶ原を山から眺める場合、燧ヶ岳からでも至仏山からでも同じように縦に見えます。景鶴山からは、横に広がる尾瀬ヶ原が見えるのかな、どんな景色なのかな、ということでした。

スマホを池塘に浸けて「サンショウウオから見た景色」。池塘の浮島と燧ヶ岳


そのまま尾瀬ヶ原を抜け、220座目の至仏山へ。展望よく、秋の尾瀬を満喫できました。数日前に登った、燧ヶ岳、会津駒、歩いてきた尾瀬ヶ原、景鶴山がよく見えました。尾瀬に入って1週間で、いっそう紅葉が進んだことがよくわかり、写真もたくさん撮りました。

秋の好天の中、尾瀬ヶ原を横断し、至仏山の頂に立つことができた


そして、至仏山から西を見ると、奈良俣湖や、次の上州武尊山が見えてきました。いよいよ水上の山が見えてきたと感じて、次の山域への気持ちが高まりました。

10月最初の日。尾瀬からみなかみ町に入り、上州武尊山へ登りました。水上でチームイーストウインドの一員として過ごしている時には、谷川岳に次いで、トレーニングでよく登ったのが武尊山で、とても馴染みのある山です。

ただ、百名山の時以来5年間は登れていなかったのと、奥利根水源の森登山口からのルートは初めてだったので、とても新鮮でした。

上州武尊の手前でみなかみ町へ入った。山中で見つけた「へ」の木


トレーニングで使ってた武尊神社からの登山道は急なのですが、今回のルートはなだらかに登っていくルートで、上州武尊の新たな魅力を知ることができました。紅葉が美しく、天気に恵まれて、山上からは見慣れた景色が見えました。みなかみ戻ってきた、という思いが強くなりました。

みなかみ町へGO!!

みなかみ町では、チームミーティング、旅先交流会、ラフティングガイドも!?

第2のふるさと、みなかみ町がどんなところかと聞かれたら、「自分を迎えてくれる人がたくさんいる町」です。宝台樹からみなかみ町の中心へ行き、あちこちに立ち寄って、再会を喜びました。

所属するアドベンチャーレースチーム「チームイーストウインド」では、キャプテンの田中正人さんと若手メンバーを交えてチームミーティングを行い、10月4日には、5月以来となる旅先交流会も開催しました。

交流会には、直前の告知で、平日の夜の開催にも関わらず、250人もの方が集まってくださいました。

交流会には250人ものファンが集まった。遠くは大分から参加した人もいたという


週末には、所属しているラフティングカンパニー「カッパCLUB」で、2日限定のリバーガイドとして活動しました。2日で3回、15人が、僕の艇に乗ってくれました。

リバーガイドの真骨頂! 2日限定で15人が陽希艇に乗ることができた

※編集部注:ラフティングの場合、ラフティングカンパニーからスタートポイントまで(カッパCLUBの場合は、日によって2.5kmから4km)と、ゴールポイントからカンパニーまで(同1.5km)は、ラフトガイドもお客さんとともに車で移動するのが通常。しかし、人力旅を続ける田中陽希さんは、車に乗らず、この間を走って移動し、お客さんを楽しませていたという。

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仲間に囲まれ、みなかみ町での充実した数日間を過ごした陽希さん。谷川連峰の山々から中越の山々へ向けて進んでいった。

取材日:2019年10月25日
取材協力=グレートトラバース事務局、カッパCLUB

関連リンク

人力10,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
http://www.greattraverse.com/

今回のレポートで登った山のまとめ

袈裟丸山 [9月12日、13日]

皇海山 [9月14日]

男体山 [9月17日]

女峰山 [9月19日]

太郎山 [9月19日]

日光白根山 [9月20日]

会津駒ヶ岳 [9月25日]

帝釈山 [9月26日]

燧ヶ岳 [9月27日]

平ヶ岳 [9月28日]

景鶴山 [9月30日]

至仏山 [9月30日]

上州武尊山 [10月1日]

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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