御前山――、奥多摩主脈・奥多摩三山の中心にある美しい三角錐の山を縦走して、山麓の文化の違いを感じる

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奥多摩三山の1つである御前山は、春はカタクリの山として、秋はカラマツの黄葉の山として人気を集める。多摩川上流(北側)と北秋川上流(南側)を分けているこの山の山麓では、それぞれ違った文化で人々は生活し、そして近年の開発で山麓の様子はすっかりと姿を変えた。その違いを感じながら縦走の山旅を楽しみたい。

 

奥多摩の山塊の中で最も人気があり有名なのは、日の出山から御岳山、大岳山、御前山、三頭山と続く奥多摩主脈の山々だ。その中でも大岳山、御前山、三頭山の3座は奥多摩三山と呼ばれ、尾根でつながってはいるものの山容が大きく独立峰のような存在感があるため、多くの登山者を魅了している。

浅間尾根から眺める御前山の端正な山容(写真/山が好き! さん


なかでも奥多摩三山の真ん中に位置する御前山は、端正な三角錐の山容を持つ美しい山だ。この山を有名にしているのは4月中旬に中腹から上に咲くカタクリの花と、晩秋の山頂付近のカラマツの黄葉だ。春と秋、御前山は多くの登山者が訪れる。

しかし、戦後の75年ほどの間に、御前山周辺ほど大きく環境が変わった場所は少ないだろう。御前山の南側は、多摩川支流の秋川(北秋川)に面しているが、かつてはこの上流の標高約900m前後まで人が暮らしていた。山頂の西にある小河内峠のすぐ下にある中ノ平には1970年代まで人家の跡が残っていた。北秋川の山里の人々は山を活かして暮らしていたが、生活様式の変化はこの山域の自然にも大きな影響を与えた。

1960年代まで、御前山の南面は茅葺屋根の材料となるカヤ刈のため、広大なカヤトが広がっていた。また薪炭のための広葉樹林や炭焼き窯もあちこちにあり、明るい雰囲気に満ちていた。しかし、建築木材の造林のために杉や檜の植林が行われると、北秋川上流の山は一気に・広範囲に人工林の山へと変わってしまった。

さらに――、それ以前の話となるが、当時の東京都民の水需要の大部分を満たすため(現在は他に利根川、荒川水系からの供給が上回る)、御前山南側にあたる多摩川は1957年に奥多摩湖が完成、1950年代には多摩川周辺の集落は、ことごとく湖底の村となっていった。

御前山方面から見下ろす奥多摩湖の様子(写真/てんてん さん


周囲はすっかり姿を変えた御前山だが、遠望すると、遠くからも、すぐ「それ!」と特定できる円錐の整った姿は変わらず美しい。そこに早春はキツネ色の暖かな色合い、そして新緑の緑、秋は黄葉のイメージと、さまざまな表情を見せてくれ、四季折々の変化に富んでいる。

数多くのルートが刻まれた御前山の中でも、奥多摩湖から登るルートは背後に大きく澄んだ奥多摩湖が眺められる。中でも小河内ダムサイトから取り付く大ブナ尾根は、サス沢山付近にある美しいブナ林と尾根上に作られた広い防火帯(山火事の延焼拡大防止のために人工的に作られた幅広い無林帯)からの眺めが加わり、魅力的で人気が高い。

しかし今回紹介するのは、ダムサイトから更に奥多摩湖南岸遊歩道を辿り、かつて多摩川と秋川を結んで小河内峠に立つ清八新道から広々とした尾根を登り奥多摩主脈を登るコースを紹介したい。カタクリが咲く時期なら4月中旬、奥多摩湖畔のヤマザクラや新緑を楽しむなら5月上旬が最適期だ。

奥多摩湖畔から清八新道で御前山へ。湯久保尾根を下る

行程:
水根・・・奥多摩湖・・・水久保沢出合・・・小河内峠・・・惣岳山・・・御前山・・・御前山避難小屋・・・湯久保山・・・仏岩ノ頭横・・・小沢(約6時間)

⇒コースタイム付き地図

 

奥多摩湖畔から静寂の清八新道を登る

小河内ダムの上を歩いて渡り、ダム建設の慰霊碑で大ブナ尾根と別れて湖岸の平坦な遊歩道を歩いていく。奥多摩湖の波ひとつ立たない静かな湖面には、石尾根の六ツ石山付近を映している。やがて水アビ沢出合先で大ブナ尾根へと登る作業道を分け(この道はサス沢山付近で大ブナ尾根と合流する歩きやすい道)、水久保沢出合からジグザグに斜面を急登する清八新道にへと入る。

やがて広々とした尾根に出ると、広葉樹の森が広がっていて、新緑の季節は美しい。古くから生活路として歩かれていた道に相応しく傾斜は緩い。やがて大平と呼ばれる広々とした広場を過ぎて、登り続けると大きく尾根の東側をトラバースするようになり、前方に明るい広がりが見えて小河内峠へと登り着く。

広く平坦な尾根道が続く清八新道(写真/ガバオ さん


カヤトが一面に広がっていた54年前――、暗い森の中から明るい草原へ南面から吹き上げる風の中を登り着いた解放感は素晴らしかった。植林が伸びた今も峠の上は明るく、多摩川と秋川と言う違う文化を結ぶ奥多摩でも好ましい峠のひとつだ。

今から54年前(1968年5月3日)の小河内峠。当時は明るい草原が広がっていたのだが――。写っているのは中学時代の友人・丸茂幹夫君(写真/山田哲哉)


ここからは奥多摩主脈に刻まれた明るい防火帯の中を登っていく。背後に大菩薩や富士山が大きく広がっていく尾根道を進むと、やがて円みを帯びた明るい小さなピーク「ソーヤノ丸デッコ」と呼ばれる場所に到着する。このコース最大の展望が広がり、雲取山から続く奥秩父、石尾根の眺望が素晴らしい。

「ソーヤノ丸デッコ」からの展望を楽しむ(写真/トマトとケチャップ さん


4月中旬にはこの辺りからカタクリが季節には点々と現れる。20年ほど前までは、この付近から山頂まで、あらゆる斜面をピンクの花が埋めたが、残念ながら少しずつ数を減らしている。鹿の食害や温暖化の影響など、いくつかの原因が言われているが「カタクリの御前山」とも言われたかつての姿が蘇ることを願いたい。

大ブナ尾根と栃寄からの「体験の森」ルートが合流する、広々としていて明るい惣岳山の山頂を越えて、いったんコルに降りるとカラマツ林へと変わり、山頂までは最後の登りだ。やがて展望の良い露岩を越えて登り着くと、御前山の広い山頂となる。カラマツの植林が成長して展望がなかった時期があったが、現在は北面が伐採され、川苔山から石尾根、遠く奥秩父の国師岳まで広大な展望が待っている。

数は少なくなったが、カタクリの美しい御前山の山頂付近(写真/masa46 さん

 

人工林の湯久保尾根を下山し時代の変遷を感じる

下りは北秋川へと向かう湯久保尾根を降りよう。山頂から大ダワ、大岳山方面に続く奥多摩主脈へと向かい、すぐに現れる御前山避難小屋で栃寄への道を分けて湯久保尾根に入る。すると今までの明るいカラマツ林と違い、すべて杉や檜の植林の中の道となる。

登山道は良く踏まれている。尾根の東側を巻いていく箇所では植林がなくなり大岳山が大きく見えるが、再び尾根上に戻ると、再び植林の中を歩く。モーテ山では東を巻き、緩やかに降り続ける。湯久保山の手前で藤原への道を分けた先に少しだけ広葉樹の森がある以外は、すべて人工林の中の道だ。かつては御前山から湯久保山、仏岩ノ頭まで見事なカヤトが続いていて、晴れた日は明るい展望の中を降り続けた湯久保尾根だが、様相は大きく変わってしまった。

スギやヒノキの人工林が続く湯久保尾根(写真/てんてん さん


仏岩ノ頭を巻く辺りから左右に道が分かれている。周囲には湯久保、猿江、沢又などの小さな山の上の集落があり、小さな畑を持った家が現在でも点在している。やがて登山道が広い道になり、車道へと変わり、選ぶ道によって小沢、宮ケ谷戸、宝蔵寺と違うバス停に降りる。いずれの道も最後は北秋川を渡って街道に出る。北秋川上流は開けていて、雰囲気は谷間でも明るい。

尾根上から北秋川の集落を見下ろす(写真/Bergen さん


御前山は秋川側上部の大部分が人工林となり、大きくイメージを変えた。多摩川上流と北秋川上流を分ける大きな障壁となった山だ。峡谷を堰き止め、広大な奥多摩湖を出現させた多摩川側と、山と共存しながら暮らす秋川側、2つの違った雰囲気を持つ文化の違いを感じさせる山だからこそ、縦走してその違いを感じる山行をおすすめしたい。

 

プロフィール

山田 哲哉

1954年東京都生まれ。小学5年より、奥多摩、大菩薩、奥秩父を中心に、登山を続け、専業の山岳ガイドとして活動。現在は山岳ガイド「風の谷」主宰。海外登山の経験も豊富。 著書に『奥多摩、山、谷、峠そして人』『縦走登山』(山と溪谷社)、『山は真剣勝負』(東京新聞出版局)など多数。
 ⇒山岳ガイド「風の谷」
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