9月下旬、田中陽希さんがついに北アルプスへ! 降雪が迫るなかで、30座超の大縦走へ突入した

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「日本3百名山ひと筆書き」に挑戦中の田中陽希さんは、9月下旬、いよいよ北アルプスに入った。
ここまで計画からの遅れや指のケガもあり、当初の計画を変更して、なんとか雪に閉ざされる前に北アルプスを登り終えたい・・・。その思いは果たして――。
約40日に渡る北アルプスの三百名山を巡る旅を、前編、後編に分けて紹介する。

POINT
  • 当初の計画から遅れ、計画を練り直して、9月下旬、立山から北アルプスへ入る
  • 台風や不安定な天候で時折り停滞するも、無駄のないルート取りで、順調に進む
  • 果たして降雪前に北アルプスを抜けられるのか・・・

 

計画から3ヶ月遅れで北アルプスへ。ルート取りで意識したこと

当初の予定では、北アルプスには8月くらいに歩いている計画でした。しかも、当初は、岐阜を南下したあと、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳を登ってから北アルプスは南部から入る予定でしたので、計画とは全然変わっていて、2ヶ月半から3ヶ月くらい遅れていました。

最終的に、富山から北アルプスに入るルートは、京都を歩いている頃に、計画していました。

北アルプスといっても、南北に長いですし、降雪が心配だったので、北から入ろう、と。富山から立山に入るとして、次に、後立山連峰の稜線の小屋閉めが早いこと、もうひとつは、後立山や裏銀座の山々は、雪がついてしまうとアプローチがしにくいこと、そこを優先してルートを計画しました。一方で、北アルプス南部の山々は、沢に沿って登れるルートがあるのがわかっていましたので、後半に回しました。

この間の三百名山の山ですが、百名山、二百名山の旅の時、縦走中に踏んだピークもありました。ですので、北アルプス約40日間の山旅中、初めて登頂したのは、鍬崎山、朝日岳、蓮華岳の3座でした。

 

立山エリアの山々、剱岳に登り、馬場島へ下山

初めて登った三百名山の鍬崎山は、立山連峰展望の山で、薬師岳が正面にドンと見えて、いよいよ北アルプスに来たなという印象でした。

その後、立山室堂に移動して立山三山(雄山、大汝山、富士ノ折立)に登り、奥大日岳を登って剱御前小舎に周回し、剱岳には別山尾根から登りました。百名山のときは残雪期で平蔵谷から登りましたので、別山尾根のルートは10年前の「トランスジャパンアルプスレース」で下ったとき以来でしたが、鎖の多さに改めて驚きました。まだ右手にギプスをしていたので、緊張感もあり、慎重に登頂しました。

三百名山の鍬崎山。北アルプス展望の山で、薬師岳がドンと正面に見えた

日本では数少ない「氷河」に触れた

 

3日停滞の後、毛勝三山から一度下山。後立山縦走を前にギプスがとれた!

毛勝山は、二百名山の時に登っているのですが、三山の縦走はできていませんでした。今回は事前に確認し、整備はされていないものの、破線ルート、バリエーションルートの範囲で、歩くのは問題ないとわかり、毛勝三山の縦走が実現しました。

台風後の不安定な天候で曇っていたので、剱岳の姿は見られなかったのですが、初めてのルートで、よい緊張感、冒険感があるルートを歩くことができました。

いったん黒部市に下山し、ここでようやくギブスを外せることになりました。

馬場島で3日間の停滞。毛勝三山を登り終えて下山した黒部市で、2ヶ月ぶりにギプスから解放された

 

後立山連峰を縦走! 朝日岳から白馬岳、「不帰ノ嶮」を越えて唐松岳へ

北又から朝日岳に入って後立山連峰の縦走がスタート。白馬岳-唐松岳間の稜線を進んでいく


後立山連峰では、まだギプスも取れたばかりで、手の筋肉や靭帯が硬く、開いたり握ったりが難しい状態でした。五竜岳までの間には、「不帰ノ嶮(かえらずのけん)」を越えなければなりません。テーピングで固定して歩いていましたが、ケガをして2ヶ月の間に、とっさの時には、(ケガをした右手ではなく)左手が出るようにはなっていたので、無事に通過できました。

 

八峰キレットを越えて鹿島槍、爺ヶ岳へ。さらに「もっともハードな一日」の縦走で烏帽子小屋まで

五竜山荘で、天候不良で一日停滞し、その後、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳へと向かいました。この区間では難所として「八峰キレット」があるわけですが、むしろ五竜岳からすぐの小岩峰群G4、G5の方が険しさを感じました。鎖場、ハシゴなどが連続し、精神的にも疲れました。岩稜帯を抜け鹿島槍ヶ岳を登り終えて、ホツとしたのを覚えています。

黒部湖を見ながら稜線を進む


種池山荘から稜線伝いに針ノ木岳を越え、針ノ木小屋から、蓮華岳を往復し、後立山連峰の一連の縦走はひと区切りとなりました。針ノ木小屋では、北アルプスで初めてのテント泊になりました。ここから先は小屋閉めが終わっているところもあり、テント泊縦走を覚悟する計画でした。

翌日一度、水場まで700m標高を下げて、5リットルの水を確保し、針ノ木谷から登り返して船窪乗越に出ました。ここから烏帽子岳へは、アップダウンも多く、何箇所も崩落があり、気の抜けない行程でした。

針ノ木小屋から先では、登山道が激しく崩壊している箇所があった


さらに前日よりぐっと気温が低くなって、体力の消耗も激しくなりました。行程も長くもっとも「ハードな一日」を終え、烏帽子小屋にたどり着きました。テント泊を想定していたのですが、烏帽子小屋には冬季小屋があり、雨風をしのげたことで、とても救われました。

テント泊を覚悟していた烏帽子小屋で、冬季小屋が使えた。安堵の表情を見せる

 

三俣山荘から鷲羽、水晶、赤牛岳を往復。そして、初めての雲ノ平へ

裏銀座縦走路の2日目は天候が悪く、野口五郎岳では天気を選べませんでした。前回、二百名山のときに、一度登頂していて(烏帽子小屋から赤牛岳への縦走時にピークを踏んでいる)、そのときは天気が良かったので、今回は残念だけど「目をつぶってもらって」、先を急ぎました。

天気が悪い日も、悪いことばかりではない。ライチョウさんに遭遇


三俣山荘では一日停滞した後、鷲羽岳ー水晶岳ー赤牛岳の往復18km強に挑戦しました。一日待った甲斐あって、最高の天気で、鷲羽、水晶と歩いていきました。赤牛岳は2度めでしたが、好天の中、この先進む、薬師岳とカールが目の前に見える絶景を味わい、三俣山荘に戻りました。

翌日は、初めて雲ノ平へ。本当は、もっと早い時期にきて、その先の高天原温泉も目指したかったのですが、すでに小屋も閉まってしまいましたので、諦めました。ガスの中を歩くのを覚悟していましたが、時折、雲が切れ、頭上を雲が通り過ぎるのを見て、「雲ノ平」というのを実感できました。やはり北アルプスの中でも一等地なんじゃないかというくらい素晴らしい場所でした。

憧れの雲ノ平を歩く。北アルプスの「一等地」と感じる場所だ

 

晴れを願った4年ぶりの薬師岳、果たして・・・

百名山の時、薬師岳、黒部五郎岳から笠ヶ岳にかけては、暴風・雹(ひょう)と、とても天候が悪かったので、薬師岳は、今度こそ、晴天の中で登りたかった山のひとつです。

ところが、山頂では、4年前と同じように雲が湧いてきて、2時間待ったものの雲が切れずに、大展望は得られませんでした。そんな状況でも、一昨日歩いた赤牛岳が見え、そこから見えていたカールも上から間近に見ることができました。

また、鍬崎山も見えました。鍬崎山から眼の前に見えた薬師岳に、今、ようやく立つことができた。立山、後立山、裏銀座縦走路を経て、雲ノ平を歩き、ここまでぐるっと、ずいぶん長い距離を歩いてきたんだなと、感慨深いものがありました。

巨大なカールを体感。薬師岳との根比べは薬師岳に軍配。4年前に続いて曇天となった。


太郎平小屋からは北ノ又岳を経て黒部五郎岳へ。黒部五郎では青空がきれいで、大きく美しいカールを見ることができました。黒部五郎岳からは、前回歩かなかった稜線コースを歩き、三俣蓮華岳へと戻りました。

山頂から、数日前に泊まっていた三俣山荘が見え、無事に歩いてきたことを伝えたくてずっと携行しているホラ貝を吹いたところ、ホラ貝の音に気づいたスタッフが小屋から出てきて「ヤッホー」「気をつけて~」と言ってくれました。

大きな声でお礼を言い、そこから双六岳を経由して、双六小屋に下り、北アルプス北部の周回が終了しました。

黒部五郎岳からの快適な道を三俣蓮華岳へ。

双六岳にも登頂。北アルプス北部の山々を踏破し、北アルプス南部の山へ進んでいく

 

(北アルプス 後編へ続く)

取材日:2018年11月8日
写真提供:グレートトラバース事務局

 

人力10,000kmの山旅。日本3百名山ひと筆書きに挑戦中の田中陽希さんを応援しよう! もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
北アルプスは山も多く、ここに掲載できたエピソードは、ほんの一部。詳しくは公式サイトの「日記」でチェックしよう! 
グレートトラバース3 公式ウェブサイト

 

今回のレポートで登った山のまとめ

※山名は「ヤマケイオンライン」の山の紹介ページへのリンクします

鍬崎山 [9月23日]

立山(雄山、大汝山、真砂岳) [9月26日]

奥大日岳 [9月27日]

剱岳 [9月28日]

毛勝山(毛勝三山) [10月2日] 

朝日岳 [10月4日]

雪倉岳白馬岳[10月5日]

唐松岳 [10月6日] 

五竜岳鹿島槍ヶ岳爺ヶ岳[10月8日]

針ノ木岳蓮華岳 [10月9日]

烏帽子岳 [10月10日]

野口五郎岳[10月11日]

鷲羽岳水晶岳赤牛岳[10月13日]

薬師岳 [10月15日]

黒部五郎岳三俣蓮華岳[10月16日]

 

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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